ザ・謝罪社会で、私たちはどのように謝ればいいのか:常見陽平のサラリーマン研究所(2/4 ページ)
日本は「ザ・謝罪社会」である。仕事上のちょっとしたミスでも謝罪しなければいけないが、どのように謝れば先方の怒りは静まるのだろうか。筆者の常見陽平氏のよると……。
筆者が体験したスゴい謝罪
振り返れば、筆者は会社員時代、日常的に謝罪したり、されたりしていた。個人的には、謝罪したことよりも、されたことのほうをよく覚えている。思い出に残るのは約10年前、企業で人事を担当していたときに、就職情報会社の役員や部長が勢ぞろいして謝罪にやって来たときのことだった。
参加した合同企業説明会で、隣のブースの人材ビジネスベンチャーが、実にアグレッシブな会社説明会を行っていたのだ。自分のブースのスペースを大きくはみ出していただけでなく、禁止されていた通路でキャッチなどの行為を行っていた。明らかに他社の採用を妨害しているし、ルール違反である。温厚な筆者もさすがにキレ、運営スタッフに猛抗議した。その翌日、営業担当は役員や部長などそうそうたるメンバーを連れて謝罪にやって来た。おそらく、皆、予定を変更したのだろう。
スピード対応だったこともあって、好印象を受けた。いや、「謝らせている自分のほうが悪いんじゃないか」と錯覚するレベルだった。「会えばいい人」とか「話せば分かる」という言葉には、人を懐柔させる臭いを感じるのだが、確かにこれは当たっている部分がある。会えば、叱る気も失せるのである。
もちろん例外もあって、謝罪の方法を間違えれば、火に油を注ぐことになる。謝罪に来てくれたのにもかかわらず、原因の究明や対策がまったく行われていない場合である。ある人事系システムのトラブルで就職情報会社が謝罪にやって来たのだが、「とりあえず謝りに来ました」といった雰囲気が漂っていた。しかもその場で、営業担当と、システム担当が「あれ、どうだったっけ?」「いや、○○だったはずですけど」「○○じゃないのか?」など目の前で議論を始める始末。これには絶句した。
逆に謝罪のさせ方で引く場合もある。営業担当をしていたころ、入社2年目にして大口の顧客を担当することになったのだが、こちらがミスをするたびに先方の担当者は、経緯書や謝罪文を書かせるのだった。「このような過ちは二度と起こさない」とあたかも、凶悪犯罪者の償いの手記のような経緯書を書いたこともある。なお、その後、先輩にその顧客を引き継いだ後もトラブルが起きて、「前任がこんな謝罪文を書いていたんだぞ」とクレームになった。その先輩も驚いていた。
社内メールのミスなども、責任は重くないものの、「先ほどのメールのミス、すみません」と謝らなくてはならず、そのたびに自分の株を下げた。企画スタッフをしていたころは、ついつい長文メールを打ってしまい、「読みにくいんだよ」と営業からクレームが届いた。さらには「よろしくお願いします」と書くところを、ヤンキー風に「夜露死苦お願いします」と書き、物議を醸したこともある。
ビジネスの現場ではこのように、日常的に謝罪ドラマが起きているのである。ザ・謝罪社会なのだ。
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