大阪人は食べていなかった? “串かつ業態”ブームの真相:長浜淳之介のトレンドアンテナ(4/6 ページ)
串かつ居酒屋チェーン「串カツ田中」の業績が好調だ。ライバルの「串かつでんがな」や「串家物語」も店舗数が増えた。串かつ業態がブームとなっている背景とは?
俳優の赤井英和が広めた串かつ
さて、串かつが新世界の名物から大阪の名物に昇格したのは、俳優で元プロボクサーの赤井英和氏(西成区出身)の尽力によるものだ。赤井氏は1929年に創業した元祖串かつ「串かつだるま」が後継者難で閉店の危機にあることを知り、高校のボクシング部の後輩であった上山勝也氏を説得して、後任に据えた。2001年のことだった。
赤井氏の見込んだ通り、上山氏は経営の才を発揮。3坪12席の個人店だった串かつだるまは大阪を中心に現在18店をチェーン展開するようになった。
串かつだるまを後押しするため、赤井氏は関西の料理番組などに出演し、串かつの調理法を解説するような普及活動も行った。
「横綱」や「串かつじゃんじゃん」など、新興の店が集まった新世界串かつ振興会系の店なども勃興して新世界が串かつ屋街になり、串かつの店が大阪のキタやミナミに広がって、大阪をはじめ関西で食べられるようになったのは今世紀に入ってから。せいぜい十数年の歴史なのである。「大阪人は串かつを食べない。食べているのは観光客」とよく言われるのは、食べる習慣がなかったからだ。
「ソース二度漬け禁止」「無料のキャベツ」といった串かつ屋のルールも「串かつだるま」から始まっている。
串かつだるまによれば、もともと牛串のみが「串かつ」と呼ばれ、他の串揚げは単に食材の名で呼ばれていたそうだ。つまり料理全般は串揚げで、牛串が串かつだった。それがいつの間にか、串揚げ全般を串かつと呼ぶように転換されていった。
そうして、新世界から大阪の繁華街へと串かつが進出してきたタイミングで、東京に串かつ居酒屋を立ち上げたのが串かつでんがなであり、やや遅れて進出したのが串カツ田中であった。
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