ニュース
私はこうしてプロ野球をクビになった:『俺たちの「戦力外通告」』著者が綴る(1/3 ページ)
元プロ野球選手で、『俺たちの「戦力外通告」』著者が、自身の体験をもとに“クビ”になった経緯を語る。
今日、戦力外通告を受ける。
そのことは、昨日の電話で既に知っている。朝、いつもと同じように起き、同じ道を通って球場に向かう。いつもと違うのは、スーツを着ているということ。ただ、それだけである。
それだけなのに、この気持ちはなんだろう。
長い野球人生だった。小学校3年生のときに半ばやらされて始めた野球は、いつのまにか人生の中心にあった。試合に勝つこと、仲間と協力すること、思い通りにならないこと、そして、自分自身を高めること。人生において大切なことは全て、野球から教わった。“プロ野球”という一つの完成されたフィクションに、人生の全てを注ぎこんできた。それが、今まさに終わろうとしている。
「どんな気持ちになるのかな」
情熱の全てを注ぎこんできたものが終わる時、自分自身は正気でいられるだろうか? 取り乱したりしないだろうか? どこか他人事のようにそんなことを考えていた。
抜けるような高い空に、風が吹き抜けていく。金木犀の香りが濃く香る日だった。横須賀港に停泊している軍艦は、今日も波に揺られてギシギシと音を鳴らしている。グラウンドでは、“来年”に向けて選手たちが練習を始めていた。それは、昨日までと変わらない、いつもの光景だった。
「今後、どうする?」
「おはよう。そこに座ってくれ」
関連記事
- 高卒でプロ野球を戦力外 16年後に「公認会計士」になった男の逆転人生
阪神タイガースから戦力外通告を受けたものの、その後公認会計士になった元投手、奥村武博さん(39)。引退した選手が第二の人生で成功できずにトラブルを起こすケースが多い中、いかにして成功できたのか。かつての挫折と、そこから這い上がった経験を聞いた。 - 余命1年を宣告され単身渡米 がんを乗り越え「2度の世界女王」に輝いたバックギャモン選手
世界の競技人口3億人ともいわれている人気ゲーム「バックギャモン」で2度の世界チャンピオンに輝いた矢澤亜希子さん(38歳)。子宮体がんで余命1年と宣告されてから「世界」を獲るまでのサクセスストーリー。 - 就活をやめてエストニアへ そこで私が確信した日本と世界のキャリア観の決定的な違い
普通なら就職活動真っ只中の期間である大学3年生の1月から大学4年生の6月までの約半年、就活を中断してエストニアに留学中の筑波大学4年生、齋藤侑里子さん。そんな彼女が現地で感じた、日本の就活への違和感、グローバルスタンダードなキャリアの築き方とは――。 - 障がい者が働く大繁盛の「チョコ工房」設立した元銀行マンの決意
定年後を見据えて「攻めの50代」をどう生きるのか。新天地を求めてキャリアチェンジした「熱きシニアたち」の転機(ターニングポイント)に迫る。4回目は障がい者を雇用するチョコ工房「ショコラボ」を起業した元銀行員の伊藤紀幸さん(53)。2018年11月1日に7周年目を迎えるショコラボの伊藤さんに話を聞いた。 - 35歳でフリーライターになった元公務員が踏んだ「修羅場」
公務員の安定を捨てて独立する――。希望の道に進むのは素晴らしいことではあるものの、そのプロセスは決してバラ色ではない。独立を切り出したとき、妻や母、職場の上司など、「周囲」はどう反応したか。35歳で公務員を辞めてフリーライターになった小林義崇さんに、当時の苦悩を振り返ってもらった。 - プロ野球選手からビジネスマンに “生涯現役”貫く江尻慎太郎さんの人生
2001年にドラフトで日本ハムファイターズに入団。その後、横浜ベイスターズ、福岡ソフトバンクホークスでプロ野球選手としてのキャリアを過ごした江尻慎太郎さん。現役引退後、彼が選んだ道はビジネスマンだった。江尻さんの仕事観、人生観に迫った。 - 元プロ野球選手の古木克明さんが起業してまで成し遂げたいこと
「松坂世代」の強打者として甲子園を沸かせ、ドラフト1位でプロ野球の世界に飛び込んだ古木克明さん。その後、野球を辞めてプロ格闘家となり、そして再びプロ野球選手を目指したのを知る人も多いだろう。そんな古木さんは現在、自ら事業を立ち上げて日々挑戦を続けている――。
Copyright © ITmedia, Inc. All Rights Reserved.