「蒙古タンメン中本」“からうま”ブームの真相 激辛に徐々に慣れさせる仕掛けとは?:長浜淳之介のトレンドアンテナ(2/6 ページ)
セブン‐イレブンの「蒙古タンメン中本 北極ブラック」が人気だ。ラーメンチェーンの蒙古タンメン中本はなぜここまで支持されるのか。同店の歴史から分析してみよう。
破天荒だった初代のお店
蒙古タンメン中本の前身は、東武東上線上板橋駅(東京都板橋区)の近くにあった、中華料理店「中国料理中本」だ。1968年にオープンして以来、普通の町中華として営業していた。店主の中本正氏(故人)は辛いものが好きだったので、オープンから約1年後に辛いメニューを考案して顧客に提供したところ評判がよく、次第に辛いものしかほとんど出なくなって、結果的に専門店化したという。
蒙古タンメン中本のファンが運営するWebサイト「蒙古タンメン中本の道」に掲載されている「先代中本閉店エピソード」を読むと、中国料理中本がずいぶんと破天荒な店だったことがうかがえる。同サイトには次のような記述がある。
「開店時間が11時30分と書いてあるのですが10時頃からすでに注文できるのです! そして11時頃には料理ができて食べ始める人も出てくるのです。まずここで初心者はお手上げ。さらにここのメニューは『蒙古タンメン』『札幌味噌ラーメン』など聞いたことのないものばかり。これをさらに混乱させるのが店内のメニュー表示。昔はあったが今は作っていないメニューまで貼ってあるので、はじめての客が「え〜と、チャーシューメン」などと言おうものなら『すみません、それ今やってないんです』の声。ないならはがしてよ…」
「どさん子ラーメン」が札幌味噌ラーメンのチェーン展開を始めたのは67年。70年〜80年代にドライブインの普及と歩調を合わせて全国に広がっていくが、中国料理中本はずいぶんと早い時期から札幌味噌ラーメンを手がけていたようである。
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