連載
「蒙古タンメン中本」“からうま”ブームの真相 激辛に徐々に慣れさせる仕掛けとは?:長浜淳之介のトレンドアンテナ(4/6 ページ)
セブン‐イレブンの「蒙古タンメン中本 北極ブラック」が人気だ。ラーメンチェーンの蒙古タンメン中本はなぜここまで支持されるのか。同店の歴史から分析してみよう。
惜しまれながら閉店
学生や地域住民、噂を聞き付けた首都圏の辛党に愛された中国料理中本は、98年12月に閉店。営業最終日には7時間待ちとなり、大行列を整理するために警察まで出動する騒動となった。繁盛していたが、中本氏の高齢・健康不安が店を閉じた理由だった。
この人気を目の当たりにして、ぜひ店を継ぎたいと志願したのが白根氏である。60年生まれの白根氏は、20歳の頃に中国料理中本のラーメンに出会った。友人に連れられて来店した当初はその辛さに閉口させられたが、友人がはまっていたこともあって、しばらくしたらまた食べたくなった。ついには閉店するまでの約20年間、毎日のように通う太い常連となっていた。
つまり、2代目は中本氏とは赤の他人ではあるが、中本で育った熱烈なファンの1人だったわけだ。
何人かが、味を継ぎたいと中本氏の自宅を訪問したが、何度断られても諦めなかったのが白根氏。中本氏は店の2階に住んでいたのだ。「じゃあ、僕のために一杯だけ作ってくれないか」「ラーメン屋の心得が知りたい」などと口説くと、そこまで言うならと中本氏は折れた。中本氏は徹底的に厳しく指導にあたった。
そうして、約1年後に蒙古タンメン中本と改名して上板橋で再開。かつての中国料理中本のファンを引き継いで、たちまち繁盛店となった。オープン初日は100人程度の行列ができ、感動の余り泣き出す人もいるほどだったそうだ。現在の上板橋本店は上板橋駅の北側にあり、駅のホームから看板が見えるほど近い。
関連記事
- なぜ「スガキヤ」は中京圏で繁栄した? 「だし」の哲学と強固なビジネスモデル
中京圏で熱烈に愛される「スガキヤ」。ラーメンとソフトクリームの2枚看板で成長してきた。地元で熱烈に支持される理由とは? - 「大阪王将」に後れを取っていた「餃子の王将」の業績が復活したワケ
「餃子の王将」を運営する王将フードサービスが復活しつつある。女性向けの新業態店や安価で量を減らしたメニュー開発が奏功したが、本質的な理由はほかにもあるという。どのような戦略を打ち出しているのだろうか。 - レゴランドってそんなにひどいの? 家族を連れて行ってみた
「隣接する商業施設からテナントが撤退」「水筒の持ち込み禁止」などのニュースで注目を浴びているレゴランド。ネット上では酷評する声もあるが、実際はどうなのだろうか。記者が家族を連れて遊びに行ってみた。 - スシローの進化についていけなかったかっぱ寿司
かつて業界をリードする立場だったかっぱ寿司が、競合他社に次々と追い抜かれている。逆転を許してしまった背景にはいったい何があるのだろうか。 - 「指混入」だけじゃない 幸楽苑が日高屋に負けた理由
ラーメンへの異物混入事件でブランドイメージを大きく損なった幸楽苑。この事件が現在に至るまでの不振の原因として指摘される。しかし、本質的な敗因は別のところにもあった。
Copyright © ITmedia, Inc. All Rights Reserved.