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なぜ宿題は「無駄」なのか?――“当たり前”を見直した公立中学校長の挑戦麹町中学・工藤勇一校長の提言【前編】(3/4 ページ)

宿題もなく、クラス担任もなく、中間・期末試験もない――。学校の「当たり前」を見直し、メディアや教育関係者、保護者などから注目されている公立中学校が東京都にある。

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宿題はゼロ

 私が麹町中学校の校長に赴任した当時、宿題のあまりの多さに驚きました。ただし、これは多くの中学校でも同じです。生徒たちは宿題をこなすことに汲々(きゅうきゅう)としていて、かわいそうなほどでした。かねて宿題の存在意義に疑問を持っていた私は、赴任2年目に、まず、夏休みの宿題をゼロにする方針を打ち出しました。

 その後、段階的に宿題をなくしていき、4年目を迎える頃に「全廃」に踏み切りました。

 当初、私が宿題全廃の方針を示したことに、一部には疑問を持ち、抵抗感を示す教員もいました。当然のことだと思います。

 私はこう説明しました。

 「批判や誤解を恐れずに言えば、教員が宿題を出すのは子どもたちの『関心・意欲・態度』を測り、評価(通知表)の資料とするためではないですか。もっと私たちは専門性を発揮しないといけない」と。

 この問題の背景には、一つの流れがあります。学校関係者以外には、あまり知られていないかもしれませんが、そもそも「評価」が、かつての相対評価から絶対評価へと変わっており、その中で、「関心・意欲・態度」という観点別評価を行うようになっています。 

 通知表には、学習の理解度・到達度だけでなく、学習に対する「関心・意欲・態度」が示されています。この「関心・意欲・態度」は、目に見えない尺度だけに、評価するのが難しいものです。そのため、宿題の提出量や、授業中の挙手回数などをカウントし、それを評価に活用していることは珍しくありません。

 本来であれば、そうした数字に頼らず、子どもの成長や可能性を読み取るのが、専門職たる教員の役割です。

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