2015年7月27日以前の記事
検索
コラム

“絶体絶命”のファーウェイ、「伝説の創業者」のDNAに見る“それでも強気な理由”【後編】いかにして「苦境」を乗り越えてきたか(3/5 ページ)

米国の制裁に揺れる中国通信機器・端末大手のファーウェイ。絶体絶命の窮地に追い込まれたかに見える一方、創業者の任正非(じん せいひ)を筆頭にファーウェイ関係者は強気な姿勢を崩さない。

Share
Tweet
LINE
Hatena
-
※本記事はアフィリエイトプログラムによる収益を得ています

海外へ進出

 C&C08の開発に成功し危地を脱した任正非は「これで生き残った」と安堵の言葉を発したという。

 もっとも、危地を脱した後も挑戦の手を緩めることはなかった。98年に作成された会社の基本方針「ファーウェイ基本法」では、売り上げの10%以上を研究開発費に充てると約束し、「技術主導型企業」というDNAを堅持すると宣言した。

 一方で技術自慢のための開発はやってはならないとも戒めた。「他社よりも半歩先をゆく製品を目指せ」が任の信条だ。市場ニーズとかけ離れた、自己満足のための開発は不要だ。あくまで売れる製品を目指す。中国最強のイノベーション企業でありながらも、技術におぼれぬよう警告しているのだ。

 輸入業者の時代からファーウェイは充実したサービスで評価されていたが、大型デジタル交換機の開発に成功し、先端企業の仲間入りをした後も、その企業姿勢に変化はなかった。世界的企業がとりこぼした、農村という「鶏肋」(編注:「大して役には立たないが、捨てるには惜しい物」の意)を丁寧に拾い集めてシェアを伸ばしていったのだ。

 中国では国内市場が巨大で、しかも急成長を続けているだけに、リスクの大きい海外進出には躊躇(ちゅうちょ)しがちだ。たとえ進出したとしても、中国での成功パターンは海外では通用しない。

 しかし、ファーウェイは粘り強く海外展開を続け、成功に導いた。97年にはアフリカ市場に進出。99年にはインド・バンガロールに研究開発センターを設立する。翌2000年には海外市場での売り上げが1億ドルを突破。メキシコでは治安が悪いことを考慮し防弾設備を備えた基地局設備を開発し、ロシア向けには寒冷地対応を徹底した。ニーズのくみ上げと技術開発というファーウェイの武器が遺憾なく発揮されている。

 かくして05年には海外での売り上げが国内市場を上回り、国際企業の仲間入りを果たした。

photo
ウクライナの首都キエフで開かれた展示会で、ブース出展するファーウェイ(写真提供:ゲッティイメージズ)

Copyright © ITmedia, Inc. All Rights Reserved.

ページトップに戻る