2015年7月27日以前の記事
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孤独死の現場から問う 独りで誰にも迷惑を掛けず、あなたは死ねるか誰にも訪れるかもしれない未来(3/3 ページ)

最近注目が集まる「孤独死」。私たちは独りでも死ねるのか。特殊清掃の現場や遺族のルポを重ねる2人のジャーナリストに問う。

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孤独死の現場に見た、「つながり」への希望

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死の現実を見つめ続けてきた菅野さん(左)と瀧野さん

――一方で、菅野さんのルポでは、肉親が消えて一見「つながり」を断たれたように見える家族が、そのつながりを何とか再生しようとするエピソードもありますね。死去ではなく行方不明になった人ですが、ごみだらけの部屋に独り住んでいた女性「おーちゃん」。残された家族に菅野さんが取材していく中で、「私の家族は決して風通しのいい関係ではなかった」と、彼らが自分たちのつながりの在り方を振り返っていく。

菅野: おーちゃんの家族は、今も帰りを待っているそうです。

瀧野: 第三者である菅野さんがこの取材を行ったことで、(おーちゃんの)家が再生し始めた、という話ですね。菅野さんが親御さんたちに厳しい質問をしたことで、ご家族が動き出したと思う。家族ともつながれないのは悲しいこと。再生というと大げさかもしれませんが、一人一人が変わり始めていると感じました。

――孤独死した女性の部屋の清掃に、遺族である母子が立ち会うルポも印象的でした。遺体の残した黒い体液に触ろうとした子どもに、清掃業者の横尾将臣さんが注意すると「おばあちゃんやから大丈夫やもん!」とつぶやく。つながりの断絶を見せつけられ続ける孤独死ルポの中で、ほのかな希望が見えた気がします。

菅野: 「子どものいる特殊清掃の現場は珍しい」と、横尾さんも言っていました。巡り合わせですね。この横尾さんの担当する清掃現場は、“暖かかった”です。

瀧野: いずれ、AI(人工知能)などを活用して、独居する高齢者が「ちょっと動かなくなった」といった異変に、(システムが)すぐ気付けるようになるでしょう。でも、それで幸せになるかというと、そうではない。

――孤独死を考えるには、まずは具体的な「つながり」の在り方を見つめ直す必要があるのですね。

後編は「“死のリアル”になぜ私たちは引き付けられるのか」に迫ります。

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