蒲田 初音鮨物語 利益もこだわりも捨てた鮨屋が“世界に名だたる名店”になるまで:蒲田 初音鮨物語(3/3 ページ)
客足もまばらで、つぶれかけていた場末の鮨屋、「蒲田 初音鮨」。それが突然、“世界中から予約が入る名店”となったのはなぜか?
蒲田で“高級鮨屋”を成立させた市井の鮨屋の覚悟とは
「いくら人気の高級鮨店といったって、しょせんは蒲田だろ?」口に出さなくても……いやいや、実際に言葉に出して「品川の関所を越えた先に、うまい鮨なんかあるはずがない」と真顔で話す自称グルメは少なくない。
東海道五十三次。日本橋を出て品川までは“お江戸”だが、同じ武蔵の国とはいえ、品川の関所を越えるとその先の宿場は川崎。その間の中途半端なところで、“江戸前”を気取っただけなんてところの鮨なんかロクなもんじゃない。“江戸前”の土地で勝負できない職人が、うまい鮨なんか食わせるわけがないからねぇと、食通のなかには言葉がすぎる者だって出てくる。
東京には多くの鮨屋がひしめいているが、その多くは銀座、あるいはJR山手線の内側、南部のどこかの駅に近い場所に店舗を構えている。銀座以外の土地にもおいしい鮨屋は山ほどあるが、隠れ処といったところで、本当に隠れているわけではない。大多数は山手線を中心とした大都会・東京のイメージそのままの場所に位置している。やや中心から離れた名店も、決まって、豊かな人たちが集まる地域にあるものだ。
“伝統”が業の伝承であるとともに、より良い業・味に出会うための確率を高めるものだと考えるならば、確かに蒲田にうまい鮨、それもグローバルに認められた、海を越えてお客がやってくる鮨屋が生まれる確率なんてほとんどない、と考えるのも無理からぬことだろう。
一方で、「銀座だろうと地方だろうと、新鮮で質の高い材料とうで腕のいい職人がいれば、どんな場所だってうまい鮨はできる。鮨の味が場所で変わるはずもないだろう?」という者もいる。「それが証拠に、全国各地津々浦々、魚のあるところ、人が集まるところには、食通を引きつける鮨の名店があるではないか」と。
しかし、それは海に囲まれた日本という国の至るところに、良い魚が水揚げされる港や、そうした港から質のいい魚が集まる魚市場が数多く点在するからにほかならない。
東京ならば築地(移転した現在ならば豊洲)、横浜ならば本庄。人が集まる都市の近くには大きな魚市場があるが、蒲田という場所は、その間に挟まれた工業地帯で、鮨の名店を成立させるにはやはり困難が伴う。
すなわち東京から横浜を結ぶ地域において蒲田に店を構えるということは、良い鮨を作り出すために不可欠な素材調達のところからの不利を“受け入れる”ことにほかならない。
だからこそ、ここ蒲田において“高級鮨屋”を成立させているところに、まずは蒲田初音鮨の一つ目のすごさがある。
そして、蒲田で高級店を成立させるにあたっての困難は、もう一つある。「うまい店は、どこの土地にあっても、うまいものだろう」と外野は簡単に言いがちだが、多くの人は物事を判断する時、ブランドをよすがとしている。それは、自分が感じる価値観に絶対的な自信がないから、というのも理由だろう。また、あらゆるものに対して、(ブランドに基づかず)絶対的な価値を見極めようとすると時間も手間もかなり要する、という理由もあるからかもしれない。
だからこそ多くの人々が、さまざまな部分でブランドを追い求め、ブランドを選ぶことで手軽に安心感を得ているのだ。話を料理店に置き換えるならば、その料理店のある“土地のブランド力”に価値を感じる者は多い。良い悪いではなく、“そういうもの”なのだ。
では、なぜ、“場末の街”とすら呼ぶ者もいる蒲田の、さらに駅からも離れた小さな鮨屋に、一人あたり4万、5万という大金を支払う大勢の食通たちが集まり、さらにはそんな客が、どんどん増え続けているのだろうか?
一人の弟子も持たず、仲居も置かず、夫婦二人だけで洗濯・掃除・仕入れに仕込みをこなす市井の鮨屋。
そんな蒲田初音鮨は、鮨には一切の隙を感じさせないにもかかわらず、客にはゆったりとした心の余裕を感じさせ、緊張する客がいれば解きほぐし、笑顔を引き出してから、味の絶頂感へと導いていく。
客はにこにこ、ほっこり、温かみを感じるのに、鮨の方は、ゆるぎなく完璧――名人とたたえられる職人の店は数あれど、ここまで“緩い”、リラックスした空間と、研ぎ澄まされた鮨のコントラストを楽しませる店が、他のどこにあるというのだろうか?
そこでさらに謎は深まる――そんな名店が、なぜ、あえてさまざまな困難を伴う蒲田にあるのか?
実は、この二人が通ってきた轍(わだち)を調べ、その秘密を探ってみれば、多くの人の人生を大逆転に導き、事業や商売、そして人生を、成功へと導く数多くの知見が詰まっているとお分かりいただけるだろう。
夫婦二人のある決意が、多くの奇跡を呼び、最悪ともいえる時期を迎えた場末の鮨屋に、大逆転の幸せな時間が呼び込まれたという必然――人と人とがつながることで生まれる友情、そして夫婦が互いを思い合う気持ちが生み出す大きなエネルギー。
そのプラスのスパイラルを手繰り寄せる普遍的な成功の方程式が、そこにはあった。
そして一方で、鮨を味わう者を驚嘆させるこの鮨屋の仕事ぶりの背後には、隠された悲しい真実があった。
本田雅一プロフィール
テクノロジージャーナリスト、オーディオ&ビジュアル評論家、商品企画・開発コンサルタント。
技術を起点に経済的、社会的に変化していく様子に着目し、書籍、トレンドレポート、評論、コラムなどを執筆。
90年代初頭よりPC、IT、ネットワークサービスの技術、製品トレンドを追いかけ始めるが、現在、その取材対象はカメラ、オーディオ、映像 機器、映像制作、自動車、SNSなど幅広い分野に拡がり、さまざまなメディアにコラムを提供する。
オーディオ&ビジュアル専門誌ではAV評論家としても活躍。商品企画や開発アドバイザーとしても多くの製品に関わっている。
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