事故物件、特殊清掃…… “死のリアル”になぜ私たちは引き付けられるのか:目を背けたくなる現実(4/4 ページ)
最近注目が集まる特殊清掃や事故物件。死から遠いはずの私たちはなぜ死に引き付けられるのか。2人のジャーナリストに問う。
死を軽々しく扱うネットメディア
――今も多くのメディアでこうした死に関するコンテンツが取り上げられています。しかし、現場に肉薄せず軽々しく人の死を扱う記事も、一次情報にあまり触れたがらないネットメディアを中心に散見します。訃報の取材をいい加減にこなす記者すら存在します。実感としてメディアも読者もまだ、「死」と真摯に向き合っていない気がするのですが。
菅野: 年代的な問題もあるのかもしれません。ネットメディアはまだ若い、とも感じます。
瀧野: そういう人は葬式に行っているのでしょうか? 「学校の行事があるので」と、葬式は(子どもは行かず)親だけ行っている、という話も聞きます。
死に対する儀礼には歴史的な意味があるのに、それを教えられない人もいますね。初七日とか四十九日などは、必要で意味のあることなのです。でも、教えられる保護者やお坊さんは減る傾向にある。葬式に行って(遺影を)拝んできて、親戚中が集まる光景を目撃していない。
菅野: 孤独死をテーマした記事は、自分や親の話など「わが身に降りかかってくること」という文脈で書かれていれば、読まれる傾向にあります。ただ、まだ読者にとってはあまり自分事ではないのでしょうね。みんな(考える)余裕がない。
一方で、若い人には特に「自分は孤独なんだろうな」と思っている傾向がある、と感じます。「友達も彼女(・彼氏)も自分にはいないから」と。
瀧野: 調査によると、実は若い人の方ほどあの世を信じているそうです。アニメなどの影響なのでしょう。逆に70歳以上は信じていなかったりする。
でもやはり、みんな死を自分のこととは思っていないのではと感じます。私は取材しているとだんだん、「自分も(いつか)死ぬんだろうな」と思うようになるのですが。
「社会はどうあるべきか」といったテーマは、なかなか自分事にならないのです。みんな、“半径2メートル”くらいの関心にとどまっている。孤独死というテーマも、本当は自分事として考えなくてはいけない。半径2メートルから自分の親の問題、次は社会へと、「想像力の階段」を私たちが作る必要がある、と感じます。
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