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「WAGYUMAFIA」 代表・浜田寿人が明かす“挫折からの復活劇”――そして「世界一」への果てしない挑戦浜田寿人の肖像【中編】(1/5 ページ)

“和牛輸出王”浜田寿人がたどってきた道のりから、最高級の和牛ブランドを世界に広めているWAGYUMAFIAのビジネスモデルに迫る――。設立からわずか3年で急成長を続けるWAGYUMAFIAは、国内では堀江の事業というイメージが強いかもしれない。だが、実質的にトータルプロデュースと海外戦略を担当しているのは浜田だ。中編では共同設立者の“ホリエモン”こと堀江貴文との再会と、WAGYUMAFIAのブランディングの秘密に迫る。

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 2016年の設立以降、わずか3年で急成長し、最高級の和牛を世界に広めているWAGYUMAFIA。世界各国でエンターテインメントとともに和牛を味わうポップアップイベントを開催しながら、高級レストランに和牛を輸出している。

 同時に、国内外で尾崎牛や神戸牛を提供するWAGYUMAFIAブランドの高級レストランなどを展開するほか、19年10月には新業態のYAKINIKUMAFIAもオープンした。また19年には和牛専門ラーメン店「MASHI NO MASHI HONG KONG」を香港にオープンしている。さらに20年1月に「MASHI NO MASHI TOKYO」を東京・六本木にオープン。今後も世界中の都市に店舗を広げる計画だ。

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WAGYUMAFIA代表の浜田寿人(右)。堀江貴文と共同で創業した(以下、写真は同社提供)

 代表取締役の浜田寿人は、和牛の世界的なサプライヤーであり、和牛のシェフとしても世界各国で知られている。このシリーズでは浜田が挫折と失敗を繰り返しながらも、いかにして「WAGYUMAFIA」のビジネスモデルを構築したのかを、3回にわたって届けていく。

 前編では、若くして映画会社を起業し、東京とシンガポールでレストランを展開するも、12年には会社を整理するまでに追い込まれた秘話を明かしてもらった(ホリエモンプロデュースの「WAGYUMAFIA」 代表・浜田寿人が語る急成長の舞台裏――知られざる挫折、転落、苦悩)。中編では共同設立者の“ホリエモン”こと堀江貴文との再会と、WAGYUMAFIAのブランディングの秘密に迫る。

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浜田寿人(はまだ・ひさと)1977年生まれ。ソニー本社に最年少で入社後、映画会社を立ち上げる。2012年に初の和牛輸出をシンガポール向けに開始、現在20カ国以上に和牛を輸出する。16年にWAGYUMAFIAを設立。以降、シェフとして世界ツアーを85都市で実施。WAGYUMAFIAのトータルプロデュースを手掛ける

クールジャパン機構から「門前払い」

 12年夏、浜田は10年以上経営したカフェグルーヴの整理を進めながら、再び最高級和牛である尾崎牛の輸出を始めようとしていた。しかし、シンガポールに出店していたステーキハウスを閉めたこともあり、ほとんどゼロからのスタートだった。

 「会社の整理をしながら、一方で和牛の業界と交渉もしなければならず、余裕は全くありませんでした。本当に徒手空拳でした。どうにもならない期間が1年半くらい続いたと思います」

 浜田は、和牛についてあらためて学ぶため、和牛に関わる全ての業態で仕事を体験した。精肉所で働くことから始まり、焼肉屋でのアルバイト、と場での修業、フードトラックで肉料理の販売もした。当然、無給での仕事もあったが、全て勉強のためだった。

 「新しいことをするときには、必ず全業態を学びます。恐らく業務の実体験がないと、自分の言葉に変えられないからだと思います」

 この年、尾崎牛の輸出を始めたものの、まだ販路はほとんどなかった。浜田は、和牛を世界に輸出するからと説明してクールジャパン機構に支援を要請した。だが、全く相手にされなかったという。

 「和牛を世界に輸出するすばらしい事業だからお金をくださいと言いに行きました。今でもよく覚えていますが、担当者からは『ニッポンハムや伊藤ハムができないのに、どうして浜田さんみたいな個人ができるんですか。証明してから来てください』と言われました。門前払いのようなものですね。でも役人から見たら、確かにそうだったのでしょう。それで、証明してやろうと思って、ヨーロッパ(欧州)への輸出を始めました」

 国内で本格的に業界の協力を取り付けて輸出することができたのは、兵庫県のエスフーズ社長の村上真之助との出会いがあったからだった。浜田は「和牛に懸(か)けたい」と言って輸出に協力してもらえるよう村上を説得。3カ月が経(た)って「お前みたいな新しいやつも業界には必要だ」と言ってくれ、和牛の供給を受けての輸出が可能になった。

 このころ、牛肉を輸出する環境にも変化が訪れる。日本では10年に牛や豚などに口蹄疫が流行したことによって、29万7808頭の家畜が殺処分された。同時に、多くの国が日本からの牛や豚などの輸出を禁止した。それが、14年6月にヨーロッパで解禁されることになったのだ。

 解禁されるとすぐに、浜田はドイツの企業と組んで最高級の神戸牛と尾崎牛の輸出を始めた。しかし、相手の企業からは「神戸牛は他のところからも買える。ヨーロッパの独占権利をくれればコミットする」と言われてしまう。独占権利を渡せるはずはなく、輸出は半年ほどで頓挫。また振り出しに戻ってしまった。

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外国人に話題となっている神戸牛の骨付きドライエイジ。世界で唯一手掛けているのがWAGYUMAFIAだ
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WAGYUMAFIA結成1年前。最初のフードトラックで肉料理を販売した
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WAGYUMAFIA設立以前に立っていたフードトラック時代。左がのちのWAGYUMAFIA THE KAISEKIのシェフとなる永山悟志
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