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堀江貴文は、いかにしてゼロから築き上げたのか 「宇宙ビジネス立ち上げの原動力」を聞くホリエモンが仕掛ける「宇宙ビジネス」【後編】(3/5 ページ)

ホリエモンこと堀江貴文氏が創業したベンチャー企業インターステラテクノロジズ。堀江氏が宇宙ビジネスへの参入に動き始めたのは00年にさかのぼる。その後、国内における民間宇宙開発を目指す組織「なつのロケット団」を結成して、ゼロからロケットの開発に取り組んできた。堀江氏インタビューの後編では堀江氏が、「ゼロ」からロケット開発を可能にしてきた背景を聞く。

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エンジンの性能を確立するまでに10年

 堀江氏はライブドアのCEOだった04年、アニメ制作会社のガイナックスからその後の「なつのロケット団」のメンバーであるジャーナリストや作家、漫画家らを紹介され、それがきっかけで「なつのロケット団」のメンバーとなった。

 「なつのロケット団」には宇宙航空研究開発機構(以下、JAXA)のエンジニア、野田篤司氏が参加していた。最初の技術スタッフは、野田氏が早稲田大学で在籍していたサークル「WASA(早稲田大学宇宙航空研究会)」の学生だった。

 「学生が手を動かす係の第1号でした。見よう見まねで設計して、ガス酸素とエタノールで作っていましたね。インターネット創世記の1995年にできた、ネット上で製造業の中小企業に発注ができるNCネットワークを使って、部品の生産や加工をしてくれる企業を探しました」

 堀江氏らは日本で初めて、液体燃料を使用するロケットエンジンの開発を目指す。液体燃料はスペースXが採用したもので、エンジンに燃料を噴射するインジェクターはTRWと同じタイプのものを作ろうと試みた。

 「インジェクターは東京大学と共同で研究して、実験を重ねてきました。TRWの出した特許があって、基本コンセプトは理解できても、そこから先が分からないんですよ。最初は教科書を読んで、試行錯誤するしかありませんでした。ようやく同じくらいの性能を出せるまで、10年くらいかかりましたね」

 燃焼実験を進める一方で、組織づくりも進めた。09年に開発拠点を千葉県鴨川市から北海道赤平市に移す。11年には北海道大樹町の実験場で最初のデモンストレーション機「はるいちばん」の打ち上げに成功。合計4機の打ち上げ成功を経て、13年に大樹町に拠点を構えてISTを設立した。ここから開発が加速することになる。


宇宙ビジネスを始めたころのことを振り返りながら話す堀江氏(撮影:KAZAN YAMAMOTO)

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