“パナの特許”と“世界ブランド”でイノベーション 2万円トースター誕生の裏側:家電メーカー進化論(2/7 ページ)
千石の手掛ける「アラジン」のオーブントースターは、特許技術の高性能ヒーターとレトロなデザインを組み合わせて大ヒット。旧三洋電機の下請け工場として創業したが、今や家電製品の企画、開発、製造、販売まで一貫して行うメーカーだ。家電メーカーになるまでの経緯、今後についてを専務取締役の千石滋之氏に聞いた。
三洋電機の二次下請けとして創業し70年
千石が拠点を置く加西市は、兵庫県の西南部に位置し、瀬戸内海から一歩内陸に入った場所にある。この地域は元々、特筆した産業のない農村地帯だったという。戦後、三洋電機が加西市北条で工場を創業したことにより、近隣には多くの下請け工場が誕生した。千石もそんな1社だった。
「加西市は三洋電機による企業城下町で、当社は板金やプレス加工を行う会社として1953年に創業しました。77年に家電製品の下請け製造を開始しています」(千石氏)
会社が大きく変わっていくのが90年代だ。89年の天安門事件の記憶も新しい93年には深センに千石家電深セン有限公司を設立し、いち早く中国での家電や部品の製造をスタート。さらに94年には米ロサンゼルス事務所を開設するなど、海外への展開を始める。
そしてこの頃より、三洋電機の仕事だけでなく、大手住宅設備メーカーのガス給湯器などの部品を手掛けるようになっていく。95年から、自社ブランド「Greenwood」の暖房機器の企画・開発・製造・販売も始めた。
「90年代後半にはアウトドアブームもあって、ランタンやバーナーなども作りはじめました。アウトドア製品は板金加工で作れるものが多いので、我々の持つ技術を活かすことができました」(千石氏)
千石が手掛ける家電製品として最も有名なのがアラジンブランドの製品だ。これは元々、2002年に日本国内向けのストーブなどのOEM製造を日本エー・アイ・シーから受託したのが始まりだった。
「当時、日本エー・アイ・シーが販売していたアラジンのブルーフレームは、生産数の少なさを理由にそれまで依頼していた会社から製造を断られ、当社に話が来ました。ただ依頼元の日本エー・アイ・シーには、後継者がいないという課題もあったのです。
ブルーフレームは、石油ストーブを作っている会社からすると、ロールスロイスのような存在。このまま日本からなくなるのは非常にもったいないということで、05年に会社ごと取得することで合意しました」(千石氏)
こうして、日本エー・アイ・シーは千石の子会社になったが、現在でもアラジンブランドの製品の販売元となっている。
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