「アツギ」工場閉鎖で青森県むつ市は“困惑” ストッキング大手の低迷と、中国依存のリスク:長浜淳之介のトレンドアンテナ(4/6 ページ)
ストッキング大手のアツギが国内工場を閉鎖し、中国での生産にシフトすると発表した。日本最大級のストッキング工場がある青森県むつ市では「寝耳に水」と対応に追われている。業界をリードしてきたアツギはなぜ苦戦するようになったのか。
洋装が大衆化
厚木編織は当初、捕鯨用ロープを中心に撚糸、靴下、肌着などを製造していた。55年よりシームレスストッキングとタイツの本格的な販売を開始し、次第に主力商品となっていった。堀氏が捕鯨用ロープを通じて、合成繊維の新素材、ナイロンに出合ったことが後の発展のきっかけとなった。
堀氏は片倉在籍中より、製糸のみでなく二次製品であるアパレルを開発して、付加価値を付けて売るべきと提案してきたが、独立後本格的に取り組んだ。
編機や縫製の技術が進んでいなかった当時は、ストッキングにバックシームと呼ばれる縫い目があるのが当たり前で、女性はバックシームの位置がズレないように、常に脚の後ろ側を気にしつつ歩かなければならなかった。素材も絹が主流だった。今は、おしゃれの一環としてバックシームが販売されているが、日常的に着用するには厳しかった。そこで堀氏は、もっと気軽に履ける、縫い目のないシームレスストッキングに勝機があると踏んだ。
ストッキングの素材は、絹からより安価なナイロンへと移行。洋装が大衆化する基盤が整ってきていた。
ストッキングのリーダー企業へ
ところが、自信を持って55年に発売したシームレスストッキングは、あまり売れなかった。今まで世の中になかった商品を仕入れて、売れなかったら大損すると、問屋が受け付けてくれなかった。堀氏は諦めず、まず米国に輸出して高評価を勝ち得た。
55年頃から、英国・ロンドンで既存のスカートの丈を短くして履く、ストリートファッションの流行が始まっており、脚を美しく見せるためストッキングの需要が高まっていた。いちいちバックシームの位置を気にするのは面倒で、シームレス化が進んでいた。
堀氏は「アメリカやヨーロッパではご婦人方の8割方はシームレス」なる文言の宣伝用ショートムービーまで作成し、映画館で流した。問屋が売ってくれないなら自ら市場を作るという意気込みだ。
59年には、ロンドンのデザイナー、マリー・クアントが商用化したミニスカートを発売して、一大流行となり、60年代に入ると日本でも若者の流行として定着した。堀氏のもくろみ通り、シームレスはストッキングのスタンダードになった。
60年には厚木ナイロン工業に商号を変更。61年には、メーカー自ら卸の機能を持って、百貨店や洋品店など小売に直販ができるように、厚木ナイロン商事を設立した。
62年には東証1部に上場。名実ともにストッキングのリーダー企業となった。
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