やっぱり「セブン」は強かった!? 「そごう・西武」売却騒動で分かったコンビニ事業の底力:長浜淳之介のトレンドアンテナ(5/6 ページ)
セブン&アイ・ホールディングスはそごう・西武の売却を進めている。米国の投資ファンドは、コンビニの潜在的成長率の高さに注目している。日本のコンビニはやっぱり強かったといえそうだ。
そごう・西武が傘下に入った経緯
さて、どのような経緯で、そごう・西武はセブン&アイの傘下に入ったのだろうか。
そごうは、江戸時代の1830年に十合(そごう)伊兵衛が、大阪・難波に設立した古着の「大和屋」をルーツとする歴史ある企業。明治に入って1877年に心斎橋に移転。十合呉服店に改称した。
昭和初期の1933年には神戸・三宮に百貨店1号店の「神戸そごう」(現・神戸阪急)をオープン。戦後、水島廣雄社長のもとでそごうは拡大路線を取り、駅前に巨艦店を出す方式で、一時期は海外も含めて30店以上を展開していた。
バブル崩壊で打撃を受け、2000年に経営破綻。03年には西武百貨店の支援により経営統合して、持株会社のミレニアムリテイリングが誕生した。06年にセブン&アイがミレニアムを買収。09年にそごうがミレニアムと西武を合併する形で、そごう・西武に商号変更された。
西武百貨店は、かつてのセゾングループの中核で、2000年には全国に20店以上を展開していた。特に、池袋の本店と渋谷店は、1980年代に糸井重里氏を起用した「不思議、大好き。」「おいしい生活」などの感度が高いキャッチコピーで知られ、文化やファッションの発信地となっていた。池袋店の全盛時は、日本の百貨店で売り上げ1位だった。
西武の歴史を紐解いてみよう。1940年に西武鉄道の前身である武蔵野鉄道が、菊屋デパート池袋分店を買収。武蔵野デパートと改称して百貨店に進出。49年に西武百貨店へと改称している。64年に創業者の堤康次郎氏が亡くなり、次男の清二氏が流通部門を継いだ。清二氏のセゾングループは一時、西友、パルコ、ファミリーマート、吉野家D&Cなど100社以上を束ねる一大流通グループに発展。しかし、バブル崩壊後の過剰投資や、不景気によって感性の経営が売り上げに結び付かない風潮などが重なり、セゾングループは解体した。
日本百貨店協会の統計によれば、百貨店の市場規模は1991年には10兆円に迫るほどあったが、2020年には約4兆円にまで半減している。地方の百貨店の閉店が加速している。10年頃から19年まではほぼ約6兆円で安定していたが、コロナ禍の影響が大きく、どこまで売り上げを戻せるか、確証を得にくい情勢だ。
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