最後の「アンナミラーズ」閉店の衝撃 超人気ファミレスが衰退した理由と、「かわいい制服」の果たした役割:長浜淳之介のトレンドアンテナ(2/5 ページ)
アメリカンファミレス「アンナミラーズ」の日本に残る最後の店舗が閉店する。かつて絶大な人気を誇ったのに、なぜ店舗数が減っていったのか。背景を考察する。
日本の外食に与えた大きなインパクト
アンナミラーズの日本1号店は、1973年6月オープンの東京・青山店。「あずきバー」で著名な井村屋を中核とする井村屋グループ(当時:井村屋製菓)の社長だった井村二郎氏が米国を視察。これからの日本の外食に可能性を感じて、アンナミラーズの日本での展開を決めた。
井村氏は1896年(明治29年)、三重県松阪市に創業した和菓子「菓子舗 井村屋」を、1933年に井村家の長男として、父・和蔵氏から継承した。戦後の47年に株式会社井村屋として再スタート。
なお、73年には本社を松阪市から県都の津市へ移転した。現在でも同社の看板商品である「あずきバー」が発売され、井村氏の経営手腕が最も発揮された時期だった。アンナミラーズの上陸も、日本の外食に大きなインパクトを与えた。
70年代の日本は外食産業の黎明(れいめい)期で、70年に現在は「ガスト」を主力とする「すかいらーく」の1号店、国立店(東京都府中市)がオープン。日本のファミレスの先駆けとなった。71年には「ロイヤルホスト」の1号店も福岡県北九州市にオープンしている。
今まで日本にはなかったファストフードとして、米国からハンバーガーが紹介されたのもこの頃で、71年に「マクドナルド」の日本1号店が東京・銀座にオープンしている。なお、日本でのハンバーガーチェーンの先駆けは、70年に東京都町田市にオープンした「ドムドムハンバーガー」で、ダイエーが米国・マクドナルドとの破談後に開発したものだった。
「当時の社長が、新しいものが好きだったのと、食品を扱うビジネスで井村屋と親和性があったのでしょうね。アンナミラーズで出している、ホームメードパイやハンバーガーは、当時の日本では、非常に珍しかったのです」(井村屋グループ・広報)。
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