さいたま市を“幸福度ランキング”1位に押し上げた、10年来のスマートシティ構想:自治体DX最前線(1/4 ページ)
さいたま市が幸福なまち、住みたいまちとして躍進している。2020年には、全国に20ある政令指定都市の中で「幸福度ランキング」の1位を獲得した(日本総合研究所調べ)。その一因は、さいたま市が推進してきたスマートシティ構想だ。
さいたま市が幸福なまち、住みたいまちとして躍進している。2020年には、全国に20ある政令指定都市の中で「幸福度ランキング」の1位を獲得(日本総合研究所調べ)。日本経済新聞社の「全国市区・SDGs先進度調査」(令和2年度調査)でも1位を獲得している。この他、21年には市町村ごとに見た人口増加数で全国トップになった(関連リンク)。
その一因は、さいたま市が推進してきたスマートシティ構想だ。スマートシティというと、内閣府や国土交通省が19年に「スマートシティ官民連携プラットフォーム」を発足させたが、さいたま市はそのはるか前、09年に独自の取り組みを始めている。
そのきっかけは何だったのか、さいたま市はどんな姿を目指しているのか。清水勇人市長と有山信之氏(都市戦略本部 未来都市推進部 副参事)に話を聞いた。
きっかけはエネルギー問題
さいたま市の取り組みが早かったのは、清水氏の環境問題への関心の現れといえる。市長当選前年、環境省から「低炭素社会の実現に向けた脱温暖化2050プロジェクト」内「低炭素社会に向けた12の方策」が提案された。これを受け、世の中が低炭素、今でいう脱炭素社会へと舵が切られていることに清水氏は注目した。
清水氏は「運輸事業と家庭から排出される二酸化炭素の量を低減したい」という思いで、電気自動車(EV)普及プロジェクト「E-KIZUNA Project」を発足。モビリティメーカーや電力会社、大規模チェーン店などと協定を締結し、EVをはじめ次世代自動車の普及を目指していた。
その矢先、大きな壁が立ちはだかった。11年に東日本大震災が発生し、電力が逼迫(ひっぱく)。「電力が不足しているのに、EVを推進するのか」という状況に直面した。しかし「最初に復興したのも電気だった」と清水氏。当時、自動車の燃料となるガソリンも不足していたため、市が所有するEVを被災地に数台送るなど活動を続けた。
「EVをはじめとする次世代自動車は、脱炭素化の手段以上に石油エネルギーを補填(ほてん)するものになるのではないか」と清水氏。「安定的な市民生活の維持や事業の継続には都市の強靭化、レジリエンスの確保を進める必要性があると痛感した」と振り返る。
こうした経験から「スマートホーム・コミュニティの普及」「ハイパーエネルギーステーションの普及」「低炭素型パーソナルモビリティの普及」を柱とした取り組みを推進。11年には、国から「次世代自動車・スマートエネルギー特区」の指定を受けた。
このように、環境やエネルギー問題をきっかけにスタートしたのが、さいたま市のスマートシティ構想だった。同時に、人口減少や少子化、超高齢化に伴って生まれる課題も解決したい思いもあったという。
「自家用車がないと移動の難しい地域がある。とはいえ、高齢者がいつまでも自動車を運転することも難しい。高齢になっても生き生きと暮らすこと、幸福でいることと移動手段の確保は切っても切れない関係がある」(清水氏)
さいたま市のスマートシティ構想は、環境やエネルギー問題にとどまらず、高齢化社会になっても住みやすい街を実現させるという、幅広い意義を持つようになったのだ。この両方の課題を解決するカギは「データ活用」だと清水氏は言う。複数のデータを組み合わせ、住民の幸福に資する提案を行えるのだ。
では、さいたま市はどのようなスマートシティを構築したのだろうか。
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