「バーニーズ」はなぜ苦戦し、売却されたのか かつてはバブルに沸いた日本を象徴する存在:長浜淳之介のトレンドアンテナ(2/4 ページ)
セブン&アイが、高級セレクトショップ「バーニーズ ニューヨーク」を運営するバーニーズジャパンを売却。日本に進出した当初は勢いがあったが、なぜ苦戦するようになったのか。
販促の工夫
米国でバーニーズ ニューヨークが創業したのは、1923年。創業者のバーニー・プレスマンがマンハッタンの7番街17丁目に店舗を構えた。当初は、リーズナブルな紳士服の店としてスタート。妻の勧めで、店の家賃と40着のスーツの仕入代金を捻出するために、結婚指輪を質入れしたという。
プレスマンはマーケティングの才能を発揮し、ある時、男性たちの憧れの的であったパンナム航空のスチュワーデスを迎えて、店頭でカプチーノを売る販促を行った。カプチーノの売り上げは子どもたちのためのチャリティ事業に寄付する趣旨だったが、カプチーノを飲んだ人は必ずといって良いほど、スーツを買って帰った。そのため、売り上げが激増がりしたそうだ。
1960年代後半には、プレスマンの息子、2代目のフレッド・プレスマンによって、高級ブランドを扱うスペシャリティストアに転換。「ジバンシイ」「ピエール・カルダン」など、当時は珍しかったヨーロッパのデザイナーズブランドを次々と販売した。
1976年になると、革新的な新人デザイナーを発掘する方針を打ち出し、米国で初めて「ジョルジオ・アルマーニ」を紹介した。この反響は大きく、世界最大級のメンズストアに発展。同年にはレディース部門もスタートした。
店舗は、衣料品、アクセサリーを販売するだけでなく、レストランも完備。フレッドの妻が手掛けた、選りすぐりのテーブルウェアや文具などを販売するギフトショップ、チェルシー・パッセージもスタート。
1970年代後半から80年代にかけて、ニューヨークのファッション・カルチャーの発信地となる、百貨店にまで規模を拡大した。
1989年には店名を「バーニーズ」から「バーニーズ ニューヨーク」に改め、全米にチェーン展開を開始した。
そして、シカゴ、シアトル、ラスベガス、ボストン、ビバリーヒルズなどに、2019年の倒産時には、アウトレットを含めて約20店を全米に広げた。近年の若い人の趣向が、ブランド服に興味を示さなくなったことや、アマゾン・ドットコムのような通販でアパレルを購入するようになったことで、売り上げが悪化していた。
関連記事
- レゴランドってそんなにひどいの? 家族を連れて行ってみた
「隣接する商業施設からテナントが撤退」「水筒の持ち込み禁止」などのニュースで注目を浴びているレゴランド。ネット上では酷評する声もあるが、実際はどうなのだろうか。記者が家族を連れて遊びに行ってみた。 - なぜ女子の半分が泳いでないの? ジェンダーレス水着の開発者が語った“忘れられない光景”
フットマークのジェンダーレス水着が話題になっている。性の悩みだけでなく、さまざまな理由で「肌を隠したい」生徒のニーズに対応するのが狙い。開発者にその背景を聞いた。 - トイレ利用後に買い物しない人が約4割!? ローソンがトイレの扉にアートステッカーを貼った背景
全国のローソン店舗のトイレ付近に、アートステッカーを貼る取り組みを始めた。トイレをいつもきれいに使ってくれる人への感謝を示す。背景にあるコンビニトイレの課題とは? - ファミレスは危機に陥っている!? サイゼリヤとガストで明暗が分かれたワケ
ファミレスの2大巨頭「サイゼリヤ」と「すかいらーくHD」。すかいらーくの主力であるガストが、サイゼと比べて業績面で苦戦している。背景には何が? - パソナの淡路島移転計画はどうなっている? 家族で引っ越した社員が語ったリアルな日常
パソナが着々と社員の淡路島移住を進めている。実際に働いている社員はどういったことを考えているのか。現地で増えている商業施設の状況も取材した。
Copyright © ITmedia, Inc. All Rights Reserved.