24年閉館「五反田TOC」はどう変わる? 世にも珍しい“巨大卸売ビル”の過去と未来:東京ドーム4個分(2/3 ページ)
半世紀にわたり、五反田エリアのランドマークとして親しまれてきた「TOCビル」が、建て替え・再開発のため2024年中に閉館する。高度経済成長期、この地にこれほどまでに大きな建物が生まれ、「卸売店を中核としたテナントビル」となったのには、どういった背景があったのか――。
なぜ「卸売店を中核としたテナントビル」となったのか
それでは、TOCビルはどうして「卸売店を中核としたテナントビル」となったのだろうか。それには、当時の時代背景が大きく関わっている。
TOCが計画された1960年代は高度経済成長期の真っただ中。国民の消費意欲が増すなか、1964年には西日本の大手スーパーだった「ダイエー」が東京に初進出し、1969年には西日本のスーパー3社により「ジャスコ」(現在のイオン)が設立。同じく1969年には首都圏初の郊外型百貨店「玉川高島屋S.C.(ショッピングセンター)」が完成するなど、衣料品・生活用品を扱う総合スーパーやショッピングセンターの発達が著しい時代だった。
一方で、1960年代当時は総合スーパーであってもバイヤーが国鉄で上京・上阪し、各問屋を一軒一軒めぐって直接買い付けすることが多かった時代。小売店の発達に伴い、当時の通商産業省も業界に対して卸売業の近代化を求めていた。
星製薬跡地は五反田駅から約8分ほど歩く立地だったものの(現在は五反田駅から無料シャトルバスを運行)、国道1号線・第二京浜からのアクセスは良く、物流トラックにとっては好立地。また、五反田は繊維問屋街がある日暮里、宝飾品問屋街がある上野御徒町とは国鉄山手線で結ばれていたほか、1968年には五反田と繊維・雑貨問屋街がある東日本橋(日本橋横山町馬喰町)、人形・玩具・手芸雑貨問屋街がある浅草橋・蔵前とを結ぶ都営地下鉄1号線(現在の浅草線)が開通。公共交通を使って従来の問屋街と行き来することも比較的容易だった。そのため、この地に卸売基地を建設し、卸売店近代化のマイルストーンとすることは理にかなっていたといえるだろう。
こうして生まれたのが、衣料品・生活用品を中心とした国内最大の卸売店集積地「東京卸売センター」――TOCビルだったのだ。
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