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豊田章男会長退任の舞台裏 自工会はどうやって生まれ変わったのか池田直渡「週刊モータージャーナル」(4/9 ページ)

日本自動車工業会(JAMA)は定例記者会見を開催し、年明けからの役員交代を発表した。会長職は、これまでの豊田章男トヨタ自動車会長から、片山正則いすゞ自動車会長へと交代する。そこからJAMAの生まれ変わりストーリーをたどってみよう。

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記者クラブ偏重からの脱却

 次にやったのは記者会見の改革だった。ある時を境に、トヨタのJAMA担当(ひとりふたりじゃない)から、記者会見の現場に来てくれと、強く要請される様になった。そうして初めてか2回目くらいに出向いて取材した記事が「豊田章男JAMA新会長吠える!」だ。筆者は変に強運なところがあって(あるいは豊田会長の強運なのかもしれないが)、この記事が100万PVレベルでバズった。


吠えた豊田章男JAMA新会長

 勝手な想像だが、プロパーのJAMAの人たちにしてみれば「モータージャーナリスト? 何それおいしいの」くらいのものだったと思う。ところがびっくりするくらいバズった。筆者だって狙ってできるわけはない。実態はただのラッキーなのだが、JAMAの人たちから見たら、広報のやり方を変えた途端の大成果である。

 一事を見て勘違いした彼らは筆者を過大評価することになって、それ以来JAMAからも、やれ取材だ、やれご意見たまわりたいだと、いろいろなアプローチが始まった。このあたりから「モータージャーナリスト」への評価やメディアとの付き合い方も変わり始めたのである。そして20年9月の菅内閣発足で掲げられたグリーン成長戦略から、JAMAのカーボンニュートラルの長い戦いが始まるのである。今にして思うと、あの時、JAMAのメディア戦略が変わっていなければ、彼らの主張を外に伝えるメディアは限りなくゼロだったのではないかと思う。

 全体の流れそのものには直接関係ないが、JAMA主催の一大イベント、東京モーターショーの改革を進め、10月末から開催されたジャパンモビリティショーで111万人を動員してみせたのも、この新体制の成果である。

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