SDVで「ニッポン出遅れ」論が意味すること:池田直渡「週刊モータージャーナル」(3/8 ページ)
このところ静かなブームとなりつつあるのが、日本の「SDV出遅れ」論だ。何としてでもニッポン出遅れの材料を探し続けるその熱意には感服至極である。要するに、SDVに出遅れた日本の自動車メーカーが、絶望的な窮地に陥(おちい)ると言わんばかりのことを記事にする媒体が現れて、新たなトレンドになりそうな気配がしている。
車載OSは確かに重要だ
そもそものところに戻れば、コンピュータにとってのOSとは、“多くのアプリが共用する機能をひとつひとつのアプリプログラムに重複して持たせるのは無駄なので、別階層の汎用ソフトウエアとして標準化”したものである。
プレゼンソフトでもワープロでも表計算でもデータベースでもデザインソフトでも、モニターに何かを映し出すこと抜きにはユーザーは利用できない。警告音を含めた何らかの音も必須だ。そもそもキーボードやマウスなどのインタフェースも無くては操作ができない。あるいは記憶装置だってないとどうにもならない。なのでそれら共通性の高い部分を統合して汎用化したものがOSなのだ。
少なくとも昔のWindowsは、電源を入れるとまずマザーボード上のROMに書き込まれた第1段階のコンパクトなプログラムであるBIOS(現在でいうUEFI)が走って、最低限のハードウエアが接続されているかどうかをチェックした。例えばキーボードが接続されていないと立ち上がらない。そうやって第一にまずハードウエアのチェックをしてから、どこのドライブにシステムを読みにいくかの段階に入り、手順を踏んでOSがようやく立ち上がる。ハードウエアは最優先チェック事項なのだ。それはハードが重要であることの証拠でもある。
ただし、クルマの場合、コンピュータのOSにあたるものが現状存在しない。限られた範囲の組み込みソフトとして、別々に開発された制御ソフトウエアを先祖として発展が始まり、あまりにも長きにわたって、増築を繰り返されてきたという経緯があるからだ。
極論をいえば、言語が異なるプログラムを通訳を介してつなぐケースなどもあり、複雑になり過ぎている。何か新しい機能を盛り込もうとすると、増築した各ソフトウエア間の整合性を全部チェックし直さなければならない。それは新型車の開発のたびに毎回発生する無駄な作業なので、コンピュータのOS同様に、共通機能をある程度集約して標準化、汎用化を進め、新機能の搭載が一括でできるようにしたい。
ところが出力する先がモニターと通信と印刷くらいしかないコンピュータと違って、クルマは制御先の因子数が圧倒的に多い。そこに対してどうやって統合して、汎用化するかについて、まだどこの誰も具体的にこうすれば良いという答えを導き出せていない。なのでまさにこれからその答えを探す戦いが繰り広げられていくことになる。つまり、クルマのOSが求められるようになり、そこからSDVが重視されるようになってきたわけだ。
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