SDVで「ニッポン出遅れ」論が意味すること:池田直渡「週刊モータージャーナル」(4/8 ページ)
このところ静かなブームとなりつつあるのが、日本の「SDV出遅れ」論だ。何としてでもニッポン出遅れの材料を探し続けるその熱意には感服至極である。要するに、SDVに出遅れた日本の自動車メーカーが、絶望的な窮地に陥(おちい)ると言わんばかりのことを記事にする媒体が現れて、新たなトレンドになりそうな気配がしている。
テスラの優位性
歴史的に見て、クルマに最初に搭載されたソフトウエアは、エンジンの制御である。それからトランスミッションやアンチロックブレーキ、電制ステアリング、車両姿勢制御などの制御ソフトウエアがどんどん増築されていった。例えばエンジン制御の組み込みソフトが開発された時には、まだまだほかの制御がどういうものになるかは全く分からなかった。
もちろん関係性の高い制御同士では、ある程度統合が進んだケースもある。例えばエンジンとトランスミッションの制御だ。少し前に流行ったダウンサイジングターボと多段変速ATは、両者の統合制御で初めて成立したものだ。エンジンにしろトランスミッションにしろ、一度開発されたら数十年使うものであり、それらを全部いっぺんにやり直すタイミングは事実上ないので、現実問題としては特別に擦り合わせが重要なところを重点的に統合しつつ、その他の部分はやむを得ず誤魔化しながら増築を続けてきたという歴史がある。
というところでテスラが出てくる。テスラの場合、例外なくEVであり、まずエミッション関係の制御が全部いらない。エンジンに比べればモーターとパワーコントロールユニットは種類が少ないので、そもそもの順列組み合わせが少ない上、当初はクルマまるごと1台がブランニュー開発なので、10年前に作ったような古い組み込みソフトと新たなソフトを擦り合わせて作動させる必要がなかった。だから全部が同世代で、一括開発することが可能だったのである。それがアドバンテージになったのは確かで、それをもってテスラのソフトウエアの優位性を唱えるのは、確かに間違っていない。
ただし、これから先はテスラも既存自動車メーカーと同じような流れに囚(とら)われていかざるを得ない、要素技術の開発年次がアップデートのタイミングによって違ってくるのだが、それらをアップデートする際に毎度ブランニューで全部をやり直すわけにはいかないからだ。違う世代のシステムの統合をパッチを当ててつなぐ部分は必ず出てくる。
それを嫌って毎回完全刷新をすればコストが大幅に上昇して価格競争力が削がれる。車載OSは顧客にとって目に見えないので、何らかの新機能追加でアピールできない部分は競争力につながらない。なので地味であってもコストが大事なのだ。これまでのところでいえば、SDV的概念においてテスラにアドバンテージがあるという見方は間違っていないが、それはこれから徐々に失われていくはずだ。
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