SDVで「ニッポン出遅れ」論が意味すること:池田直渡「週刊モータージャーナル」(7/8 ページ)
このところ静かなブームとなりつつあるのが、日本の「SDV出遅れ」論だ。何としてでもニッポン出遅れの材料を探し続けるその熱意には感服至極である。要するに、SDVに出遅れた日本の自動車メーカーが、絶望的な窮地に陥(おちい)ると言わんばかりのことを記事にする媒体が現れて、新たなトレンドになりそうな気配がしている。
ソフトウエアだけで機能が追加できるわけではない
そしてこの原稿の重要なテーマでもある「具体的に価値あるユーザー体験として何がどう変わるのか」というちょっと次元の異なる問題もある。むしろユーザーにとってSDVの価値としてはそこが大事というか、そこしかないといっても過言ではないはずだ。
例えばプレステのゲーム『グランツーリスモ』のように、システム上のお金を払うと、システム出力が上がるとか、ブレーキの能力が上がるという世界はソフトウエアだけで成立しているゲームでは簡単である。データのパラメーターをいじればそれでいいからだ。
けれど現実のクルマはそうはいかない。例えばターボの過給圧を上げるプログラムがあったとする。過給を上げれば当然パワーは出る。ノッキング対策のEGRもある程度データで制御できるかもしれない。しかし、冷却の強化となると実物のラジエターやオイルクーラーを交換しない限り不可能だ。ヘタをすると強化ガスケットもいるかもしれない。かといって最初から大容量の冷却系や強化パーツを搭載しようとすれば、コストがべらぼうにアップする。そのコストは誰が負担するのか。メーカーはそのコストを負担しつつ売価に反映しないことなどできない。なので当然顧客負担になる。しかし商道徳としてそれだけの高機能パーツの対価を支払った客が機能に制限をかけられるのは妙な話である。
「EVならパワトレの冷却問題は少ない」という人がいるかもしれないが、出力が上がれば、曲がる・止まるの能力も嵩(かさ)上げしなくてはならない。ブレーキでもクラッチでもタイヤでもハードに手をいれなければならなくなるのは全部同じだ。ソフトウエアで機能をアップデートするには最初からその機能に対応するハードウエアを車両に組み込んでおかなければ不可能だ。だから現実的な話としては、コストが大して発生しないシートヒーターがサブスクで課金すると使えるようになるとか、そういうしょぼい話にならざるを得ない。
機能をサブスクで解禁する話は、ハードの生産に一括の開発費が発生しつつ、個別の原材料費が安いケースでは実現し得る。例えば半導体がそうで、同じ規格で作った半導体はその生産の仕組み上、ウエハの中心付近と周辺の個体では性能に差ができる。良いヤツは高級品として高く、劣るヤツは普及品として安く売る。平均値として利ざやが取れればいい。場合によっては、わざわざ安い製品を専用に作るよりも高級品の性能に制限をかけて売ってしまった方がもうかるケースも出てくる。こういうものが課金の結果、高級品の性能にアップグレードできるのは、そういう背景があるからで、クルマの場合はそんなにざっくりしたコスト計算では成立しない。
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