東海道新幹線の「品川駅折り返し列車」構想は、どうなった?:杉山淳一の「週刊鉄道経済」(1/5 ページ)
東海道新幹線に「品川駅折り返し列車」構想があった。東海道新幹線の品川駅構想は、元は国鉄時代にあったが一旦白紙となった。その後、JRグループ発足3年後にJR東海が品川駅構想を再起動。その結果、2003年に品川に東海道新幹線の駅ができた。駅はできたが、品川駅折り返し列車はない。なぜか。
品川駅はJR東日本の4路線、JR東海の東海道新幹線、京急本線が発着する大ターミナルだ。しかし周辺はなんとなく落ち着いていて、渋谷、新宿、池袋のようにJRと私鉄が接続するターミナルのにぎわいに欠ける。
私は東京都大田区の京急沿線に10年以上住んでいたけれど、沿線の若い人々が遊びに行くところは主に川崎と聞いて意外だった。次いで有楽町、銀座だ。
品川駅周辺は高層オフィスとホテルが多く、主要産業として港南口に東京都中央卸売市場食肉市場がある。市場を見学したい場合、平日のみ開館する「お肉の情報館」か毎年10月に開かれる「食肉市場まつり」がある。高輪口にはシネコンと水族館もあるけれど、ここもオフィスやホテルに滞在する人向けという印象を受ける。
そこをなんとかしたいという意味も含めて、現在は高輪口の再開発計画が進んでいる。京急電鉄は高架のプラットホームを地平に移して、JR品川駅から続く自由通路を延長し国道15号をまたぐ。地下には東京メトロ南北線の支線が建設される。
品川駅は日本の鉄道開業に先駆けて、仮営業が始まった駅だ。それなのに周辺が落ち着いた理由は、品川宿から北へ離れていたことと、駅の西側の高輪は大名屋敷や武家屋敷で、明治以降は皇族、華族の邸宅となっていたから。駅の東側は海だった。港南口は明治時代以降に埋め立てられ、鉄道輸送の発展に呼応して貨物駅や車両基地がつくられた。つまり品川駅周辺は、商業の拠点というより大邸宅や鉄道の要衝(ようしょう)として発展したといえる。
その品川駅に2003年、東海道新幹線の駅ができた理由も、鉄道の拠点性だった。1964年に開業した東海道新幹線は順調に乗客を増やし、国鉄末期の1985年にひかり6本、こだま4本を運行するまでになっていた。東海道新幹線の輸送力を上げるため、国鉄は品川に新幹線の駅をつくる構想を持っていたという。当時、品川駅には新幹線の車両基地もあったし、大井埠頭につくられた車両基地へ向かう回送列車の信号場(乗客扱いのない停車場)でもあった。
しかし、国鉄時代の品川駅構想は一旦白紙に戻る。国鉄の膨大な赤字を処理するため、貨物駅や車両基地の土地を国鉄清算事業団に譲渡すると決まったからだ。1987年に国鉄は分割民営化され、東海道新幹線を管轄するJR東海が新幹線品川駅構想を引き継いだ。
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