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東横線・幻の駅「新太田町駅」と、かつて「3つ」存在した神奈川駅神奈川の「廃線」をたどる(2/4 ページ)

2004年1月末、横浜高速鉄道みなとみらい線との直通運転開始により、横浜〜桜木町間が廃止に。同時に横浜駅が地下に移設され、東白楽―横浜間の線路も地下化された。その線路跡は、今どのようになっているのか、あらためて歩いてみることにした。

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「高島町」という地名の由来

 このトンネルが貫く高島山(神奈川区高島台)は、横浜の実業家で易学者でもあった高島嘉右衛門(かえもん)(「高島易断」の祖、1832〜1914年)ゆかりの地だ。嘉右衛門は洋学校「高島学校」の開設や、ガス事業をはじめ、都市としての横浜の形成期に大きな功績を残した、「横浜の恩人」の1人ともいわれる人物である。

 嘉右衛門は鉄道との関係も深く、新橋―横浜(現・桜木町)間に敷設された日本初の鉄道建設工事に際し、力を尽くしている。袖ヶ浦とよばれる深い入江で工事の難所とされた、現在の神奈川区青木町付近から桜木町駅(初代横浜駅)手前までの海面埋め立て(築堤)を請けおい、その工事を高島山(当時は大綱山とよばれた)から指揮監督した。

 嘉右衛門によって造成された埋立地は「高島町」と命名され、今もその名を残している。なお、高島山の頂上部にある「高島山公園」には、嘉右衛門を顕彰する「望欣(ぼうきん)台の碑」が立てられている。


高島嘉右衛門が完成させた海上の築堤によって路線の大幅な短縮が実現した。手前が神奈川駅、奥が現・桜木町駅方面。この弓なりの土地は「高島町」と命名された(横浜開港資料館所蔵)

 実業界から身を引いた嘉右衛門が、かつて埋め立て工事を指揮したこの高台に大規模な山荘を築き、横浜の繁栄する様子を望みながら、「ひとり欣然(きんぜん)として心を癒やした」(「望欣台の碑」の説明板)ことに由来するという。


高島山公園の「望欣台の碑」

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