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ハワイに100年前から「日本酒醸造所」がある理由 アメリカに“SAKE造り”はこうして根付いた(2/4 ページ)
海外でも“SAKE”として人気の日本酒。その生産は、日本人移民の歴史と大きくかかわっています。ハワイやアメリカで“SAKE造り”はどのように広まったのでしょうか。
南米での展開
南米にも多くの日本人移民が渡り、例えばブラジルへの移民は1908年に始まりました。1920年ごろには個人で「どぶろく」などを醸造していましたが、企業として初めてブラジルでSAKEを造ったのは1935年に創業した「東山農産加工」でした。
この企業は、三菱の創始者である岩崎弥太郎の個人出資により設立されました。なお、「東山」はヒガシヤマではなくトーザンと読み、岩崎の屋号から由来します。
東山農産加工はサンパウロに近いカンピーナスの地にて、冷房付き醸造所で「東麒麟(あずまきりん)」というブランドで製造を始めました。「東麒麟」はポルトガル語のミリン(小さい)に通じる「キリン」と東山を合わせた名称です。
1975年に同じ三菱グループのキリンビールが出資し、1975〜1976年にホノルル酒造の副社長で技術者の二瓶孝夫氏が指導を行いました。その後、キリンがキッコーマンに株式譲渡をしたことで「東麟麟」から「東(AZUMA)」に名前が変わりましたが、一部の日系のレストランでは「東」の生酒が飲めるということで、ブラジル国内でも支持されています。
このように、ハワイでの酒づくりから始まり、北米や南米、そして世界各地に広がったSAKEのグローバル化は、移民たちの努力と情熱によって切り拓かれたのです。
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