【マシリト×いとうせいこう】が語る極上の編集者論 「今はちょうど端境期」:マシリトが行く!(1/2 ページ)
鳥山明さんを発掘した漫画編集者の鳥嶋和彦さんが、作家・クリエイター、いとうせいこうさんとJ-WAVE(81.3FM)のラジオ番組『TOKYO M.A.A.D SPIN』(トーキョー マッドスピン)で対談した。2人が織りなす「極上の編集者論」をお届けする。
『週刊少年ジャンプ』で、『DRAGONBALL』や『Dr.スランプ』の作者・鳥山明さんを発掘した漫画編集者の鳥嶋和彦さんの新著『ボツ〜「少年ジャンプ」伝説の編集長の“嫌われる”仕事術〜』の売り上げが好調だ。
版元の小学館集英社プロダクションによれば、発売2週間で重版したという。6月8日には東京・渋谷のLOFT9 Shibuyaで出版記念イベントを開催。盛況の内に終了し、7月12日には名古屋市のJUMP SHOP名古屋店でも同様のイベントを開催する。
その鳥嶋さんが、同じく新著『「国境なき医師団」をそれでも見に行く 戦争とバングラデシュ編』を上梓した作家・クリエイター、いとうせいこうさんとJ-WAVE(81.3FM)のラジオ番組『TOKYO M.A.A.D SPIN』(トーキョー マッドスピン)で対談した。同番組のプロデューサー兼ナビゲーター、Naz Chris(ナズ クリス)さんが2人を引き合わせた経緯がある。
鳥嶋さんといとうさん、2人の共通点は同番組のナビゲーターを務めていることと、編集者のキャリアを歩んだことがある点だ。
いとうさんは編集者として、講談社に2年間ほど勤めた経験がある。2人の対話は、水木しげるを発掘し、妖怪漫画ブームを巻き起こした『週刊少年マガジン』3代目編集長の内田勝さんをめぐる話に始まり、雑誌や出版業界の将来、編集者の在り方にまで及んだ。対談の一部をお届けする。
いとうせいこう 1984年早稲田大学法学部卒業後、講談社に入社。「ホットドッグプレス」誌で企画した『業界くん物語』が話題となる。86年に退社後は作家、クリエーターとして、活字/映像/舞台/音楽/Webなど幅広い表現活動を行っている。「ノーライフキング」「解体屋外伝」などの小説や、講談社エッセイ賞受賞「ボタニカル・ライフ」、第35回野間文芸新人賞受賞「想像ラジオ」などの著作を発表。近著に『「国境なき医師団」をそれでも見に行く 戦争とバングラデシュ編』『能十番―新しい能の読み方―』など
鳥嶋和彦(とりしま・かずひこ) 1976年、集英社に入社。創刊8年目の『週刊少年ジャンプ』編集部に配属される。鳥山明や桂正和など人気漫画家を発掘育成。漫画だけでなく、アニメ、ゲームに深く関わり『ジャンプ』のメディアミックス展開を精力的に推し進める。1993年にゲーム情報誌『Vジャンプ』を立ち上げて編集長に就任、1996年には『ジャンプ』6代目編集長を務める。以後、集英社全雑誌の責任者の専務取締役に。その後、白泉社の社長、会長を歴任。漫画業界の立役者として知られている。著書に『Dr.マシリト 最強漫画術』(集英社)
いとうせいこうが受けた「伝説の編集者」の薫陶 マシリトはどう見る?
鳥嶋: いとうさんは、経歴を見ると、雑誌『ホットドッグ・プレス』 (Hot-Dog PRESS)の編集者を2年やっていらっしゃったんですね。
いとう: そうなんです。講談社にいたんですよ。僕が勤めていたときに、『巨人の星』『あしたのジョー』などを編集した伝説の漫画編集者と呼ばれる内田勝さんが、講談社にいました。僕は内田さんの講義を聞いて、薫陶を受けていましたね。
鳥嶋: 僕はお会いしたことがないんですが、どんな方でした?
いとう: なんと言うか不思議な人でしたね。今回の鳥嶋さんの本『ボツ』にも関係しているんですけど、内田さんも(メディアについて)「そういうところから、切り込んでくるんだ」というような斬新な発想をお持ちでした。僕も当時、音楽とか映像とかいろいろな表現活動をしていて、本業と違う仕事で忙しくなってきてしまったんです。いよいよ雑誌の校了にまで影響が出るようになり、これはもう講談社に迷惑をかけてしまうから辞めようと思って……。僕の辞表を、当時ご存命だった(放送作家の)景山民夫さんが書いてくださったんです。
鳥嶋: 代筆してくれたの?
いとう: そうなんです。しかもその辞表を、景山さんが編集部に導入したてだったFAX機に送ってきた。当然、他の先輩がそのFAXを見てしまい「おい! いとう! 辞めるのかー?」っていわれて。
鳥嶋: すごく、いい話(笑)。
いとう: そしたら編集長に「いや、俺に言うより、ちゃんと内田さんに、あいさつをしてこい」と言われまして。
鳥嶋: ということは、組織図の視点で見ると『Hot-Dog』から階層が上がっていくと、内田さんがいらっしゃったんですね。
いとう: 第4局という部署の局長が、内田さんだったんです。「確かに内田さんにあいさつしないとな」と思って、「講談社を辞めます」と内田さんに言いに行ったんですよ。さすがに緊張して「内田さん、いろいろかわいがっていただいたと思うのですが、辞めることになりまして」と言ったら、開口一番「いい時期に辞めるね!」とおっしゃったんです。
続けて「もう紙の雑誌は終わって、マルチメディアの時代になるから、そっちに出ていくんだよね?」と聞かれました。「まあそういうことになりますか」と答えました。それが1980年代の前半ですよね。
鳥嶋: もうその時点で、内田さんは将来のメディアの姿がそこまで見えていたんですね。
いとう: もちろん僕も当時は、あまり意味を理解できていませんでした。「最初はどこに行くの?」と聞かれて「今テレビを、少しやっているので、テレビですかね」と言ったら「じゃあちょっと待ってなさい」と言って。その場で、テレビ局の幹部に黒電話で電話をかけて「ウチから、いとうという者が行くからよろしく」と言っていただいたんです。それで辞めさせてくれたんですよ。
鳥嶋: なんという懐の深い人なんでしょう。
いとう: そうなんです。そのあと何年かしてから、普通に会うようになりました。その時にはもう既に、内田さんは漫画をデジタルにしようとして動いていました。いろいろな漫画家を口説いていましたよ。紙からデジタルにするのは最初、それなりに壁があったじゃないですか。「せっかく紙があるのにデジタルにするわけがないだろう」「デジタルだとコピーされちゃうじゃないか」とかいろいろ言われていた時代です。その時に、内田さんは漫画家のところを回り始めていました。内田さんと会って、いろいろとメディアについての話をしました。『ボツ』を読んでみて、鳥嶋さんが考えていたメディアミックスみたいなものが、実は同時代に起こっていたんだと思って。
鳥嶋: 今の話を聞くと、内田さんのほうが早いですよ。中興の祖として『マガジン』をあそこまで立て直して、漫画編集にどっぷり浸かるかと思えばそうはせず、先見性もありながら非常に柔軟な人ですよね。
いとう: 柔軟ですね。鳥嶋さんの場合は、漫画をアニメやゲームに展開するメディアミックスの方法論を考えて、具体的にどういうやり方があるかを示しながら、ルールを作っていったと思います。一方、内田さんの場合は多分、ネットのほうを先に考えていたんじゃないですかね。ひとつ向こうに行って、そこから漫画とネットの未来を考えていたように感じます。
鳥嶋: なるほど。そうすると、やや早過ぎましたね。
いとう: そうなんです。早過ぎたから会社も説得しにくかったし、消費者の間で、爆発的なヒットもしなかった。
鳥嶋: 内田さんに見えていた未来図は、他の人には“ポカン”ですよね。
いとう: そうだと思います。それで内田さんは僕なんかを呼んで、「俺はこういうことをしようと思っているんだ。いとう君はどう思う?」という感じの会話をしていました。
鳥嶋: 今の話を聞いていると、いとうさんという人物そのものをよく見ていて、「こいつが言うなら」という、ある意味で通じる部分があったんじゃないかな。
いとう: そうなんですかね。
鳥嶋: 編集者はやっぱり、人を見ますから。
いとう: ははは! そうなんだ。怖いな(笑)。
内田勝に聞かれた「雑誌の雑は何だと思う?」
いとう: 内田さんに「雑誌の雑は何だと思う?」と聞かれたことがあります。「雑だから雑誌なんだ」と最初の講義で教わりました。「ああそうか。雑なほうがいいっていうことなんだな」と解釈しました。
鳥嶋: それはありますね。雑誌は雑なんですよね。なぜなら、内田さんには「僕らが作っているのは、はやりすたりだ」という考え方が、多分あったと思うんですよね。
いとう: ああ、なるほど。それはそうですね。それこそ重大なことを、堅い調子でやっているわけじゃないんだっていう。いかにして時代と渡り合うんだということですね。確かに内田さんは梶原一騎さんと『あしたのジョー』などをやりつつ、それを社会現象にまでしていったので。
鳥嶋: そうですね。あの頃は右手に『少年マガジン』、左手に『朝日ジャーナル』って言われた時代だから。
いとう: その時代ですね。そういうことがあったと思える最後の世代なのかもしれません。
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