カムチャツカ地震の大津波警報 356社調査と企業対応から得られた教訓とは?
カムチャツカ地震に伴った大津波警報。BCPの専門メディア「リスク対策.com」が実施したアンケート調査と、実際の企業対応から得られた教訓を、同メディアの編集長が解説する。
7月30日の朝、カムチャツカ半島沖でマグニチュード8.8の地震が発生し、日本の広範囲に津波注意報・警報が発令された。気象庁は当初「最大1メートルの津波」と発表したが、その後「最大3メートル」と想定を引き上げ、北海道から和歌山に至る広域で大津波警報が長時間継続した。
実際の津波は大きな被害をもたらさなかったものの、沿岸の避難所や道路は混雑し、猛暑の中で熱中症による搬送者も相次いだ。揺れを伴わない「遠地津波」に対する企業の対応は難しく、全国の職場でも混乱と課題が浮き彫りになった。
筆者が編集長を務める危機管理とBCPの専門誌「リスク対策.com」が実施したアンケート調査(有効回答356件)では、54.2%の企業が「対応に課題を感じた」と回答している。特に「従業員や顧客が津波警報対象地域にいた、またはいた可能性がある」と答えた企業(71.9%)では、その傾向が強かった。調査結果を踏まえ、企業がどのような対策を取り、どんな悩みに直面したのかを振り返る。
初動対応――迅速な注意喚起か、反射的な安否確認か?
津波警報の発表後、企業が初動対応として実施した行動として最も多かったのは「従業員への注意喚起」で55.9%だった。「沿岸地域や出張中従業員の安否確認」が30.1%、「沿岸地域の従業員への避難指示」が32.4%と続いている。当然ではあるものの「従業員や顧客が津波警報対象地域にいた、またはいた可能性がある」と答えた企業の方が、初動対応を実行に移した割合は相対的に高い。
注意喚起や安否確認の実施率を見る限り、積極的に対応が取られているように感じるが、その内実には温度差がある。例えば、リスク対策.comの取材によれば、某飲料水大手メーカーでは、津波注意報が警報に切り替わった時点で安否確認システムを「手動」で発報し、返信を求めず「対象エリアを各自で確認し避難してください」との注意喚起にとどめた。従業員を混乱させることなく、必要な行動を促すための工夫であった。
一方で、安否確認システムを「自動発報」にしていた企業も少なくない。警報が出ると同時に一斉メールが届き、「安否を報告せよ」と指示されたが、従業員からは「被害もなく、何を答えればよいのか分からなかった」という声もあった。アンケートの自由回答にも「安否確認は本当に必要だったのか」という疑問が複数寄せられた。
近年、災害用の安否確認システムは便利さを増し、一定震度以上の地震や津波、気象情報によって自動的に配信されるタイプが多くなっている。しかし、いつの時点で、何を従業員に伝えるべきなのか、どんな回答を得る必要があるのかは吟味が必要である。過去にも、「余震のたびに安否確認メールが配信され回答や集計に苦慮した」「特別警報が発表されるたびに安否確認メールが配信され……」「トカラ列島で地震があるたびに……」など課題は多く寄せられている。
ボタン一つで、即座に、一斉に配信できる安否確認システムは今や危機管理の三種の神器といっても過言ではない。しかし、その仕組みを、災害の種別に応じて、注意喚起や所在確認の目的に変換せずに、パブロフの犬のように、何も考えず、発動しているとするなら、それは危機管理の手抜きと言わざるをえない。
長時間続いた警報━━業務調整と情報共有の混乱
今回の津波警報は10時間以上に及んだ。アンケートで「具体的に課題だったこと」を5段階評価で尋ねたところ、最も平均値が高かったのは「警報が長時間続き業務調整に混乱」(2.65)であった。次いで「社内で情報を共有すべきか判断に苦慮」「避難対象拠点や従業員の所在把握が困難」(いずれも2.58)が並ぶ。
例えば全国にスーパーを展開する小売業者は、自治体からの避難情報に応じて営業中止・避難誘導を行うという明確なルールを定めていて、実際に津波警報下でも多くの店舗で訓練通りの対応が行われた。しかし、その後、「いつまで避難すればよいのか」「営業再開はいつ可能か」といった現場からの問い合わせが相次いだという。方針は明確でも、長時間の中断を前に従業員の不安や顧客対応に迷いが生じたのである。
この点は、残念ながら、正解といえる対応はない。最終的に帰宅や待機をどう判断するかは、企業自身がリスクを取って決断するしかない。そのためには「人命最優先」を前提に、状況に応じたリスクの判断ができるように繰り返し訓練をしていくしかない。
「帰宅か待機か」━━交通混乱と熱中症リスク
首都圏では鉄道が一部長時間停止し、帰宅困難となる可能性が広がった。都内に本社を持つ大手製造業者では、避難指示エリアに住む従業員を会社待機とし、エリア外の従業員は「津波想定区域を避ける」ことを条件に帰宅を許可した。現場担当者が口頭で注意を徹底し、名前を記録して帰宅させたという。
一方、帰宅を認めるか、宿泊を命じるかの判断に迷い、結局「十分な体制を取れなかった」と振り返る企業も多い。アンケートでも「社員の帰宅に際し、避難エリアの把握に苦慮」「宿泊を含む待機体制の判断に悩んだ」という声が目立った。
さらにこの日は、兵庫県で41.2度を観測するなど記録的な猛暑。全国33府県に熱中症警戒アラートが出されており、車中避難や屋外待機で体調を崩すリスクも高まっていた。アンケート項目でも「熱中症対策をどう組み込むかが次の課題」との指摘が複数あった。
今回の津波警報後、公共交通機関の運行状況や主要駅の状況、気温などの情報を従業員に共有できたか。上記に挙げた企業のような宿泊準備は、必要ではなかったのか。各企業で再度、対応を検証すべきだ。
顧客対応・取引先対応の難しさ
企業は従業員だけでなく顧客や利用者も守らなければならない。特に医療・介護施設を抱える事業者では判断が難しかったとの声が聞かれた。ある介護施設では、沿岸部の利用者を車で高台の施設に避難させたが「今回はできても、大震災時には渋滞で移動できないかもしれない」という懸念が出されたという。
また、「顧客を誘導しつつ営業を中止したが、その後、被害が出なかったことで、次回の避難指示に従ってもらえるかという懸念が残った」との声もあった。避難が「空振り」になった場合の心理的影響は、企業にとっても課題である。
アンケートが示す今後の課題
アンケートで「今後必要な対策」を尋ねたところ、最も評価が高かったのは「津波の警報レベル別に応じた自社行動ルールの明文化・見直し」(平均3.78)。次いで「警報長期化や夏季避難に備えた暑熱対策」(3.69)、「津波警報・注意報の違い等に関する社内教育・研修の強化」(3.53)、「顧客や来訪者への避難誘導体制の明確化」(3.53)などが挙がった。
ここに見えるのは「ルール化と柔軟さ」のバランスである。企業はルールを求める一方で、実際の現場では「一律のルールでは限界がある」との声も強い。
危機対応は、全ての行動を事前に細かく定めておくことは難しい。全てルール化したいと考えるなら「BCP文章病」にかかってることを疑うべきかもしれない。細かく定めたところで、実際にそれを見ている余裕などないだろうし、どこに書いたかも思い出せないかもしれない。往々にして、予期していないことが起きるのが危機というものである。
だからといって、何も計画しないのは愚の骨頂である。現場は混乱し、基本的な行動さえとれなくなる。組織としては、判断根拠となる大まかな対応方針を明確にしつつも、現場が状況に応じて柔軟に判断できる体制を整えることが求められる。そのために必要なのは、やはり訓練である。疑似的に判断が難しいような事態をシナリオとして考え、その時、どのような行動をする必要があるのか、なぜその行動をする必要があるのか、どう実行するのかを徹底的に議論する。こうした取り組みにより、組織内に危機に強い人材が育っていく。
カムチャツカ地震に伴う大津波警報は、日本に大きな物理的被害をもたらさなかった。しかし、356社の回答に表れたのは「遠地津波」という想定外のシナリオに直面した企業の戸惑いと、準備の不十分さであった。今回のように「揺れのない警報」「長時間続く警報」「複合災害下の避難」といった状況も前提に加え、より柔軟かつ現実的なBCPを構築していく必要がある。
著者プロフィール:中澤 幸介(なかざわ・こうすけ)
2007年に危機管理とBCPの専門誌リスク対策.comを創刊。
国内外多数のBCP事例を取材。
内閣府プロジェクト「平成25年度事業継続マネジメントを通じた企業防災力の向上に関する調査・検討業務」アドバイザー、平成26〜28年度 地区防災計画アドバイ ザリーボード、国際危機管理学会TIEMS日本支部理事、地区防災計画学会監事、熊本県「熊本地震への対応に係る検証アドバイザー」他。講演多数。
著書に『被災しても成長できる危機管理攻めの5アプローチ』『LIFE 命を守る教科書』、共著・監修『防災+手帳』(創日社)がある。
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