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異動は「異業種への転職レベル」、現場は疲弊 自治体職員の働き方はどこへ向かう?(2/2 ページ)

今回は、Yahoo!ニュースを通じて寄せられた筆者の記事に対するコメントに答えるかたちで、自治体職員の働き方について改めて考えてみたい。

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庁内ワークシェアリングの真価

 庁内ワークシェアリングについてのコメントもありました。

 生産性の低い残業をなくすために、

  • 職員が時間外勤務をする場合は、自身の部署の時間外勤務をしてはならない
  • 時間外勤務を望むのであれば、他の部署の作業を行う
  • 時間外勤務の案件がある場合は、庁内でそれを掲示して募集する

――といった「庁内ワークシェアリング」の考え方を提示したのでした。

 誤解されている部分もあるかと思うのですが、筆者の考える庁内ワークシェアリングは、あくまでも「時間外勤務」に関するものです。日中の執務時間は、命令された仕事に全力投球です。

 ここで「命令」という言葉が出てきます。筆者は公務員の仕事は命令に基づいて行うものという考えです。日中の執務時間の労働力は所属の持ち物ですので、従事する業務は所属長の命令によって決まります。ここから外れた行動は「職務専念義務違反」です。

 時間外勤務も命令によって行うものなのですが、庁内ワークシェアリングでは他の所属の所属長から命令を受けることになります。そのための人件費は命令した所属から支出することになります。

 この仕組みが果たして機能するのか、という点ですが、もちろん筆者は機能すると信じています。ただ、ワークシェアリングの対象は、単純作業あるいは形式知(マニュアル)に基づく作業に限定されるでしょう。つまり多くをワークシェアリングに委ねたいのならば、マニュアルの整備が必要になるということです。

 元々この仕組みは「定数配置に対する疑問」がきっかけでした。現在の自治体内の定数配置(どの所属にどの程度の職員を配置するのか)は適正なのでしょうか。

 庁内ワークシェアリングを経て、日中にやるべき業務が整理され、それでも職員が疲弊しているのならば、見直すべきは定数配置の方だと思います。

 そもそも絶対的に職員が不足しているという客観的事実を見せるための根拠として、庁内ワークシェアリングの結果は有効に活用できるのではないかと考えています。

クレーム・暴言・カスハラ……“見えない労働力消費”をどう減らすか

 さて、コメントの中で他に多かったのが、

 精神的に負担のかかる業務に従事させられていて、モチベーションを維持させろというのは無理

――というものでした。特に住民の方との接点を持つ所属の職員は、日々のストレスも相当だと思います。筆者が以前勤務していた自治体でもクレームの電話は多かったですし、住民の方から包丁を持って追いかけ回された、という話を聞いたこともあります(真偽は不明、ということにしておきます)。

 現在はカスタマーハラスメントという言葉も一般的になり、社会的にも認知されてきたところですが、要求が正当なのか不当なのかは接してみないと分からない、正当な要求でも威圧的、暴力的なものが含まれる以上、担当する職員の気が休まらないのは十分理解できます。

 これは労働時間とは別の意味で、職員の労働力を消費する業務ですので、従事する職員を増やして、職員一人あたりの負担を減らしていくしか方法がないと考えます。その結果、冒頭の「弱者の戦略」に戻ってきます。この種の話は常に「資源の分配」に帰結するのです。

 「では結局のところ、絶対的に資源が不足している以上、どうにもならないということなのか」

――という質問が飛んできそうですが、私の答えは「そのとおり。どうにもならない」です。実はここから先の筆者の考えには一貫性がありません。他の方からのコメントを見ていると、筆者の記事に批判的な内容かと思いきや、よく読むと筆者の考えに近いものが多いことに気づきました。

 そもそも社会を変えることができるのは議会議員であって、公務員ではない。公務員は議会の決定した法律や条例を執行するのが本来の役目

 モチベーションを一方的に高めろという風潮は反対。そもそも獲得できる給与の範囲で納得できる程度の業務に従事する自由もあってよいのではないか

 おっしゃるとおりですね。

 筆者自身は「まだまだやれること、やるべきことがある」と考えていますが(庁内ワークシェアリングもそのひとつ)、変えられるのは自分自身の未来の行動だけですので、自治体職員に対して組織内部からこの問題を解決するような具体的な行動を求めるつもりもありません。

 元々の記事にある「モチベーションを維持できている職員」は生存者バイアスの結果(生き残っているからこそ語ることができている)であるとも言えますし、ルールを作る側がこの現実に向き合わない限り、問題を生み出す構造自体が変わることはないのだろうと考えています。

 「ルールを作る側」と曖昧(あいまい)な言い方にしていますが、もしそれが議会議員であるならば、その方々を選んだのは市民である私達自身です。非常に嫌な言い方かもしれませんが、自治体を取り巻く危うい状況がうまく市民の方に伝わっていないのならば、伝える努力は必要です。


写真はイメージ(ゲッティイメージズ)

 市民サービス向上という理想とそれを実現するための資源不足という現実までをセットにした上で、どのような自治体の姿を望んでいるのかを意思表示してもらわないと、互いの主張がすれ違うだけなのではないかと思うのです。その際に「自治体側がやるべきことをやっていないのではないか」と非難されることのないよう、ある種の「隙の無さ」を持っておかないと、説得力が失われることは言うまでもありません。

 そのような状況になっても、大局的には生産年齢人口は減少しますし、人員も予算も縮小傾向になるでしょう。一方、高齢化率が高くなれば福祉政策の重要度も高くなります。悲観的なシナリオが解消されるほどの好材料は見当たらないのが現実です。

 ここまで来ると、本当に「痛い目を見ないと本気になってくれないのかもしれない」と心配することもあります。

 突き放すような言い方になりますが、どのようなシナリオになっても「自分がどうしたいのか」を持つことは必要なのでしょう。公務員であり続けることは制約条件ではありませんし、自分と折り合いをつけた働き方をするのも自由です(ただし命令の範囲で)。

 その上で、自分らしく生き残る努力と工夫をしていきましょう。そして、来たるべき日に備えて、自らの爪は研ぎ続けておきましょう。

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