ネイリストの先駆者に聞く 日本のネイルサロンは「何が」すごいのか:シリーズ「編集部の偏愛」(2/3 ページ)
優れた技能を持つ人を表彰する「現代の名工」において、2024年、ネイリストが初めて選出された。現代の名工に選ばれた木下美穂里氏に、ネイルに携わるようになったきっかけや、日本のネイル産業の特徴についてインタビューした。
ネイルを医療や介護の分野にも展開
──木下さんのネイルの原点は米国にあるんですね。1980年代ごろの日本では、ネイルをする文化はなかったんでしょうか?
爪のお手入れやマニキュアを塗るといったことは、1950〜1960年代から一般化しました。ただ今のようにアートを施したり、付け爪を付けたりというのは当時はほぼありませんでした。
1985年に私の両親が中心となって日本ネイリスト協会を設立します。ロサンゼルスで学んだネイルの技術や知識をさまざまな現場で生かしていたことから、私も参加することになりました。「ネイリスト」という言葉が生まれたのも協会が設立されたからで、私のネイリストとしてのキャリアも同じタイミングで始まったと言えます。
──木下さんはロサンゼルスから、最先端のネイル技術やネイルトレンドを持ち帰り、日本に紹介されました。その中でも特に有名なのが、爪に花やリボンなど飾りをのせて立体的にみせる「3Dネイルアート」という技法です。木下さんは「3Dネイルアート」の名付け親だそうですね。
3Dネイルアートを知ったきっかけは、ロサンゼルスのビューティートレンドショーで開催されていた、付け爪の美しさを競うコンテストです。その中にファンタジーネイルアートと呼ばれる立体造形がありました。
1985年に日本ネイリスト協会が設立されたとき、最初に着手したのがネイル技術を普及するためのテキスト作りでした。3部作のテキストを作成したのですが、取り上げた内容の一つに技術体系の分野がありました。その中でファンタジーネイルアートも取り上げたのですが、日本人には分かりづらい名前だなと。そこで先輩から「1週間で分かりやすい名前を考えて」と無茶ブリされ(笑)、思い付いたのが「3Dネイルアート」でした。
──木下さんは、ネイルを美容としてだけでなく、医療や介護の分野にも広げる取り組みをされていますね。なぜこうした取り組みにも注力されているんですか?
医療の分野に着目したきっかけは、私自身が30歳の時に大病をしたことです。病気により、体調だけでなく、肌や髪、爪もボロボロになってしまって。こうした実体験から、ネイリストとして何ができるのか考えました。
治療の妨げにならないというのを大前提に、病気により弱ったり変色したりした爪を回復させるためにできるケア方法などを、ネイリストに教える活動をしています。現在では、こうした目的のネイルは「アピアランスネイル」と呼ばれるようになりました。
──ネイルと聞くと色を塗ったりアートをしたり美しくするためのもの、と思われがちです。しかし、こうしたケアの側面もあるのですね。介護の分野ではどのような取り組みをされているのでしょうか?
介護とネイルは一見結び付きにくいかもしれません。ですが、介護の現場で大切なのは「正しい爪切り」です。年齢を重ねることで爪が分厚くなってしまったり、逆に薄くなってしまったり。また病気などで爪自体がなかなか伸びない状況になっている方も多いです。足の爪に不具合があると、歩くことにも支障が出てくる。「しっかり歩ける」ことを重視し、介護士の皆さんに正しい爪切りをレクチャーする取り組みを1990年代から続けています。
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