複製アート市場が活況 鳥山明元アシスタント・まつやまたかし氏に聞く「収益モデル」
鳥山明さんのアシスタントからどのようにアート作家に転身したのか。複製アートビジネスが持つ可能性について、まつやまたかしさんに聞いた。
作家の作品を印刷技術で複製したアートプリント市場が、世界的に急成長している。インドのFortune Business Insightsの調査によれば、2024年時点でアートプリント市場の世界市場は約482億ドルに到達。2025年には約506億ドル、その後も年平均6%前後の成長を見込んでいる。予測では2032年に約776億ドル規模へと拡大する見通しだ。
複製アートビジネスは、PCやタブレットを使って作画をするアニメ・マンガ系のイラストレーターが多い日本では特に相性が良く、多くの製品がグッズとして市場に出回っている。グッズショップ以外でも、百貨店などで複製アートが多く販売されており、作家のサインやシリアル番号入りで1枚、数万円から数十万円の価格帯が主だ。
この複製アートの世界に活路を見いだした作家が、岐阜県関市在住のまつやまたかしさんだ。まつやまさんは、『Dr.スランプ』(ドクタースランプ)、『DRAGON BALL』(ドラゴンボール)の作者、鳥山明さんのアシスタントを10年間していた経歴を持つ。最近も東京・新宿高島屋や愛知県・名古屋栄三越など、多くの百貨店で自作の複製アートの展示・販売をしている。
漫画家のアシスタントからどのようにアート作家に転身したのか。【鳥山明の元アシスタント・まつやまたかし氏が仕掛けた「古着×アート」の新商売】に続き、複製アートビジネスが持つ可能性について、まつやまたかしさんに聞いた。
まつやまたかし 1957年生まれ。岐阜県在住。映画とクルマをこよなく愛しており、独自のフィルターを通して描き出される緻密な世界観は、夢と空想のオリジナルワールドを築き上げている。鳥山明氏の2代目アシスタントとしてのキャリアを皮切りに、ヴィレッジヴァンガード絵本、雑誌『Daytona』“シネマプラス”連載、所ジョージの世田谷ベース、トヨタ博物館、金沢21世紀美術館での個展など、さまざまなフィールドで活躍している。『トムとジェリーをさがせ!シリーズ』(以下、本人提供)『トムとジェリーをさがせ! みなみのしまのだいぼうけん』(以上、河出書房新社)『ウルトラセブンのおもちゃ箱』などのさがし絵本も発売中。特にまつやまワールドが表現されているのは、世界の都市とクルマを描いた「MOTOR PANIC」シリーズ
手描きからデジタルへ 制作スタイルの転換
――まつやまさんは現在、デジタルで絵画を描いています。いつ頃から取り入れたのですか。
ペンタブレットを使ってデジタルで描くようになったのは10年ほど前、2014年からです。その前は手描きした線画をスキャナーでPCに取り込み、着色だけデジタルでしたが、ペンタブレットや液晶タブレットを導入したことによって表現の幅が広がりました。液晶タブレットのガラス面の厚みに最初は違和感がありましたが、慣れてしまえば今や欠かせないツールで作業時間も格段に早くなりました。
私の代表作の一つ、米ニューヨークの“Times Square”をモチーフに描いた作品を例にすると、水性顔料サインペンのピグマで描いた線画をスキャンし、色だけをデジタルで加えています。そのため細部にインクのにじみや紙の質感が残っていて、そこがまた面白い表現になっていますが、原寸でしか描けないのでペンタブレットで描いた2作目の”paris!”のように細かくはありません。
――デジタル作品は、どのような完成物にして販売していますか。
ジクレーというデジタル版画を用いて、ドイツのハーネミューレという紙に一枚ずつ出力しています。ジクレーは発色や耐久性がとても優れていて、百年以上も持つと言われていて、作品のクオリティがとても高いですね。自分の作品は、オリジナルのスペシャルフレームに入れていて、それも一つの作品だと考えています。作品ごとにフレームを変えていて、例えば“Rock`n London”という絵では、フレーム全体に大きくユニオンジャックをラッピングしていますし、“paris!”の絵にはパリの地図をあしらうなど、その作品ごとに特別なデコレーションを施しています。
実際に画材店でフレームだけを作ってもらい、ラッピングはカッティングシート施工を得意とする看板屋に依頼しています。作品によってはフレームの塗装やステッカー類の装飾を、自分で仕上げています。
コストも手間もかかりますが、「フレームがいいね」と言ってもらえることも多く、顧客満足度は高いです。絵とフレームを一つの作品として楽しんでもらいたいので、フレームは特に強いこだわりを持っています。ちなみに、原画作品の“TOY BOXシリーズ”は木製のフレームに木工ドリルで穴を無数にあけて研磨と塗装をし、ナチュラルチーズのような目を引くフレームにしています。
海外アーティストに学んだ販売手法と価格戦略
――アーティストとして、収益モデルや制作手法、受注案件の選び方など、自信の活動をどうマネジメントしていますか。
やはり経営をしていく上では、コストと利益のバランスについて常に考えています。例えば最近では、ジクレー版画は作品ごとに百枚限定にしています。大手百貨店での販売価格は一枚でだいたい42万円に設定しています。とはいえ、百枚全てを一度に作るわけではなく、都度注文を受けてから制作しています。一度に大量に作ってしまうと、カビが生えたりするので管理や保管が大変になりますから、受注生産という形で一枚一枚丁寧に仕上げています。
広告の仕事も請けていますが、これは一枚描いて納品をすれば、その時点で権利ごと買い取られる形になります。ただ、そのイラストをグッズとして販売される場合は、二次使用のロイヤリティ対象となります。本の仕事では、代表的なものでは『トムとジェリーをさがせ!』シリーズ(河出書房新社)の作画を担当しています。自分が好きな米国の名作の書籍に作画として関われるのはとても光栄ですし、売れて重版になれば印税収入となります。『トムとジェリーを探せ!びっくりタウンはおおさわぎ』は10刷まで重版されています。
――複製原画を販売する上で、参考にしたものはありますか。
チャールズ・ファジーノという海外アーティストがいて、彼の作品は三越や高島屋など日本でも全国各地の有名百貨店で展示販売されています。ファジーノさんは米国の都市などをモチーフに描いています。複製原画を幾重にも重ねて3Dにして“スワロフスキー”や“ラメ”をちりばめた立体的な加工を施した豪華な作品なのが特徴です。
額やマットにも工夫を施し、価格もかなり高額です。私はその販売方法や価格設定、エディション数などをリサーチして、自分のやり方に取り入れました。ジクレー版画という技法を知ったのは2019年で、出し始めたのは2021年からです。まだここ数年のことですね。
自分のスタイルやビジネスモデルは、常に模索を続けています。やはり良い手法があれば、すぐ取り入れてみる柔軟さも大切です。例えば、42万円ほどのジクレー版画が百枚全部売れたとしたら、9種類あるので大きな金額になります。ただ正直なところ、その売り上げに頼り過ぎると、新作の制作が遅れがちになり「良くないな」と思う自分もいます。ジクレー版画が売れたら、また同じものを作れば展示ができるのでありがたいですが、やはり常に新作を描き続けることは、作家として大切だと自分に言い聞かせています。
私はまだ、成功したとは思っていないので、常にハングリー精神を持って魅力的な新しい作品を生み出し続けていきたいと制作にも経営にも取り組んでいるところです。
生活苦の中から生まれた代表作
――ジクレー版画は、多くのアーティストにとってビジネス的な発明だったかもしれませんね。複製ができなければ画家は全て原画で描き、一枚一枚を売っていかなければ稼げません。まつやまさんは2021年からのジクレー版画の販売を始める前は、主にどんな活動をしていたのですか。
ジクレー版画を始める前は、主に広告の仕事をしていました。また、トヨタ博物館にニューヨークTimes Squareの絵を描いた作品などを持ち込んで、個展をさせてもらいました。
――代表作の一つ、ニューヨークの街を描いたこの作品は、いつ頃、どんな状況で描いたのでしょうか。
2011年に描いたニューヨークTimes Squareの絵ですが、当時は本当に生活が厳しかった時期でした。好きなイエローキャブのタクシーがひしめくニューヨークのタイムズスクエアを描きましたが、トヨタ博物館には自動車の絵画もたくさん展示されていたので、「自分の絵もここに展示してもらいたい」と思い、思い切ってトヨタ博物館に電話をかけ問い合わせてみたんです。
そうしたらキュレーターの方が「ぜひ見たい」と言ってくださり、実際に作品を持ち込んだらすごく気に入っていただけまして、2013年にトヨタ博物館での個展が決まりました。
――大胆に電話をかけてみた行動力が素晴らしいですね。
そうですね。普段から「思い立ったらすぐ動く」ことは心がけています。銀座のギャラリーで展示したかった時も、直談判してアポイントを取りました。ひらめいたら即行動したことが、これまでのいろんな仕事につながってきたと思います。
『Daytona』(デイトナ)という雑誌では、「映画に登場したクルマ」をテーマにした連載を17年ぐらい続けました。これも、編集者から「こんなのを描けるのはまつやまさんしかいない」とお声がけいただいた案件です。その連載で描いた「映画とクルマ」シリーズを「シリーズ作品がこんなにたくさんあるなら一緒に展示しましょう」と言ってもらえ、トヨタ博物館のギャラリーで大規模な個展が実現できました。
海外に向けた自分の絵の挑戦
――今後の展示活動について、どのように考えていますか。
最近は特に、海外での展示や活動にも挑戦したい気持ちが強くなっています。百貨店で展示するようになるまでは正直、自分が描いたオリジナルの絵が本当に売れるとは思っていなかったんですよ。ニューヨークの絵を描く前までは、広告の仕事など、依頼を受けたものを淡々と描いて、その報酬で何とか生活している、そんな状況でした。ギャラで言えば月に30万円ぐらいもらえる仕事がいくつか入ってきて、それでギリギリ生活と経営を回していた感じです。自分の描きたいもの、つまりオリジナル作品を描いて、それが評価されたり売れたりする自信がなかったんですね。
しかし、どん底だった2011年に描いたニューヨークの絵をきっかけに、少しずつ状況が変わりました。あの作品をトヨタ博物館で展示した時、3カ月の会期中にものすごくたくさんの人が見に来てくれて、とても評判が良かったですし、来場者も多くて博物館側が驚いていました。
博物館なので直接は作品を売れない環境でしたし、ニューヨークの作品は展示のみでした。販売できたのは「映画とクルマ」シリーズの複製画だけで、まだオリジナルグッズ類もありませんでしたから、大きな収入にはつながらなかったのが実情です。
トヨタ博物館での展示は、「もっと自分の作品を増やしたい」と思うきっかけになりました。実際に百貨店などで多くの人に販売できたのは、自分にとって大きな転換点になったと思います。失敗も含めていろいろな試行錯誤を重ねてきましたが、そういう挑戦が自分や作品を成長させてくれましたね。
松坂屋さんの展示では、1週間で280万円近く売り上げたこともありますが、今より知名度が上がればもっと売れると思っています。代表作の“モーターパニックシリーズ”は、世界の都市や国を舞台に、クルマをごちゃごちゃに描いています。ニューヨークから始まりパリ、東京、サンフランシスコ、ロンドン、イタリア、ドイツ、米国(ルート66)と、現在8作品あります。このシリーズを海外で展示するのが夢で、まずいちばん好きな都市のニューヨークでやりたいですね。
今後のラインアップには、スペイン、インド、メキシコ、ハワイなど描きたい場所がまだまだたくさんあるので、将来的には「まつやまたかし展ワールドツアー」がやれたら本望ですね。
今振り返ると、自分は本当に商売には不器用で、失敗も多く、無駄な遠回りをしてきたかもしれません。でも、その分、今は「やってみよう」という気持ちが以前より強いです。実際、今ならきちんと準備をして海外展示にも臨める自信がついてきたと感じています。まだ駆け出しだと思っているので「これからがスタート」という気持ちです。
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