元ドラフト1位投手、28歳で戦力外、そして回転寿司屋へ――異色キャリアの裏にあった決断(3/3 ページ)
プロ野球の夢を断たれた28歳の男が、次に選んだのはすし屋だった。「明日から来い」と言われ、皿洗いから再出発。元楽天ドラフト1位・森雄大が塩釜港で見つけた、働くことの意味とは。
「明日から来い」
引退後、楽天野球団からは営業職やジュニアチームコーチの打診があり、一般企業からもいくつかのオファーがあった。その中で森さんが選んだのは、意外な道だった。
きっかけは、塩釜港の立花陽三社長にかけた1本の電話。2012年のドラフトで森さんの抽選くじを自ら引き当てたのは、楽天野球団代表に就任して間もない立花社長だった。森さんにとってはプロ入りの恩人の一人である。その立花社長は2022年4月から塩釜港で経営のかじ取りをしていた。
「お世話になった方々に引退を報告していたのですが、立花社長に『お前、どうするの?』と聞かれて、いくつか話をいただいていると答えたら、『会おう』と。翌日、仙台店に来いと言われました」
2022年11月、仙台にオープンして間もない塩釜港の店内で、森さんは立花社長と向き合った。
「社長は『楽天の営業もお前にとっていい勉強になる。でも、俺の人脈もすごく刺激的だと思う』と言って、うち(塩釜港)もオファーすると。金額の話は後で、まずはゆっくり考えろと。30分ほどの面談でしたが、僕の中では『面白そうだな』とワクワクしました」
直感を信じるタイプの森さんは、一晩考え、翌朝も同じ気持ちだったため意思を固めた。
「母親には『ずっと野球をやってきたし、知っている人もいる楽天の方が安心じゃない?』と言われましたが、僕は逆に安心ではないと思っていました。現役時代には球団職員を1年でクビになる人も見ていたので。それに、野球は辞めると決めた以上、新しいことに挑戦したかったんです」
立花社長に連絡すると、「他のところには断りを入れたのか?」と尋ねられた。「はい」と答えると、「よし、明日から来い」と即座に指示された。条件面の話は後回し。スピード感に驚いたが、それが立花社長のスタイルだった。
2022年11月、森さんは塩釜港での仕事をスタートさせた。初日からレジ打ち、接客、皿の片付けなど、飲食店の基本業務を叩き込まれた。アルバイト経験もない森さんにとって、すべてが初めてだった。
「社長との約束が一つありました。『プロ野球選手だったことを鼻にかけるな』と。まずは先入観を持たずに体を動かして、言われたことを素直にやることだけを徹底しました。新鮮でしたし、野球を辞めると決めた以上はやるしかありませんでした」
仙台店では、店舗業務に加え、Uber Eats(ウーバーイーツ)の契約や、店舗のれんのデザイン発注など、予想外の業務も次々に振られるようになった。
戦力外通告から1カ月足らずで新しい世界へ飛び込んだ森さんが、この後どんな成長を遂げるのか――。その続きは【後編】でお伝えする。
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