フラット35、限度額引き上げの死角 「日本型リーマンショック」リスクは?:古田拓也「今更聞けないお金とビジネス」
国土交通省が、住宅金融支援機構の長期固定金利ローン「フラット35」の融資限度額を引き上げる検討に入った。この政策変更は、市場の歪みを是正する一方で、家計の住宅費負担リスクを増大させるのではないかという懸念もある。市場の先行きを考える。
筆者プロフィール:古田拓也 株式会社X Capital 1級FP技能士
FP技能士センター正会員。中央大学卒業後、フィンテックスタートアップにて金融商品取引業者の設立や事業会社向けサービス構築を手がけたのち、広告DX会社を創業。サム・アルトマン氏創立のWorld財団における日本コミュニティスペシャリストを経てX Capital株式会社へ参画。
国土交通省が、住宅金融支援機構の長期固定金利ローン「フラット35」の融資限度額を引き上げる検討に入った。2005年の開始以来、「限度額8000万円」で約20年にわたり据え置かれた上限の改定は、深刻化する住宅価格の高騰に対応する狙いがあると見られる。
しかし、この政策変更は、市場の歪みを是正する一方で、家計の住宅費負担リスクを増大させるのではないかという懸念もある。市場の先行きを考える。
都内マンション、中古でも平均1億越えへ
国交省が重い腰を上げた背景には、現行の限度額と市場実態との間に生じた、埋めがたい「価格の溝」がある。
現行の8000万円という限度額が設定された2005年当時、首都圏新築マンション平均価格は4000万円台前半であり、融資枠は実需層を広範にカバーできる妥当な水準であった。
しかし、その後の金融緩和、資材高、円安、人手不足が複合的に絡み合い、住宅価格は暴騰している。
東京カンテイによれば、2025年5月の東京23区の中古マンションの平均希望売出価格が70平米当たり1億88万円となり、調査開始来で初めて1億円を超えたという。
東京23区における新築マンションの平均価格が1億円を突破したことが印象的だが、価格上昇の波は中古物件にも押し寄せているのだ。
そう考えると、東京23区で標準的な新築物件を購入しようとする場合、フルローンでも場合によっては2000万円以上の頭金が必要になるケースも出てくる。自己資金でこれを埋められる層はごく一部だ。フラット35は、首都圏の住宅市場において、実質的に「機能不全」に陥りかけているわけだ。
日銀の政策修正観測から、変動金利のリスクを恐れる層が「全期間固定金利」の安心感を求め、フラット35への関心を高めている。しかし、彼らが新築物件を検討した際新築を諦め、「フラット35の枠内で購入可能な中古住宅」へと需要をシフトさせている。
実際のところ、住宅金融支援機構によればフラット35の融資区分における中古住宅の利用割合が34.8%に達し、直近10年間で最高となった。その一方で、価格高騰の影響を最も強く受ける「注文住宅」の割合は下落している。「マイホームへの憧れ」や「新築信仰」という価値観も、近いうちに過去のものになりそうだ。
金融リスクは? 「日本型」の脆弱性
限度額の引き上げは、マクロ市場の歪みを是正する一方で、個々の家計における財務的な健全性に直接的な影響を及ぼすリスクがある。限度額が例えば1億円、あるいは1億2000万円に引き上げられたとして、家計は従来よりも大きな負債比率を抱えることになる。
ここで懸念されるのが、2008年の金融危機を引き起こした「リーマンショック」(サブプライムローン問題)の再来だ。
しかし、両者のリスク構造は本質的に異なる。サブプライム問題の核心は、信用力の低い(サブプライム)借り手に対し、当初の低金利期間終了後に金利が急上昇する「変動金利型」ローンが野放図に供給された点にある。これが金利上昇局面で一斉にデフォルト(債務不履行)を引き起こし、証券化商品を通じて金融システム全体が連鎖的に崩壊した。
対照的に、フラット35は「全期間固定金利」が原則だ。借り手は返済期間中の金利上昇リスクを直接負わない。従って、日銀の金利正常化が直ちにデフォルトの連鎖を引き起こす、といった米国型の「急性的」な金融システム危機が発生する可能性は低い。
懸念すべきは「日本型」リスク?
フラット35利用の内実を見ると、39.3%が「ペアローン」または「収入合算」というスキームで住宅資金を借りている。
2024年度のフラット35利用者の平均世帯年収は669万円であり、この「平均的な利用者」が1億円を超えるローンを組むことは、返済負担率の上限から見ても現実的ではない可能性がある。
限度額引き上げの恩恵を受け、8000万円を超える高額融資が実行されるとすれば、主にパワーカップルなどに代表される「収入合算」を前提とした世帯となる。このセグメントにおけるリスクは、「金利上昇」ではなく、「2人の安定性」に収斂(れん)する。
合算年収を基準に負担可能な上限近くまで高額ローンを組んだ家計は、ペアのうちどちらか一方の収入が途絶えた瞬間に破綻の淵に立たされる。離婚・出産・育児、本人の傷病、あるいは親の介護による離職で、世帯収入が「片翼化」したと仮定する。ローン返済額は変わらない。
限度額の引き上げは、この「収入合算」を前提とした高いレバレッジのローンを助長し、日本社会に「脆弱な家計」を量産する危険性を内包している。これが「日本型」の家計リスク構造だ。
米国型と異なり、金融システムが即座に崩壊することはないかもしれない。しかし、住宅を高値掴みした家計が物件価格を上回る負債を抱え、離婚したのに物件の売却では残債が残ることから処分もできず、可処分所得の大部分を返済に奪われ、消費を極度に切り詰める。
こうした「生活はできるが、消費ができない」家計が社会に蔓延すれば、それは1990年代のバブル崩壊後と同様の、深刻な内需の停滞と経済の新陳代謝の阻害、すなわち日本型のリーマンショックに近い経済危機を招きかねない。
政策の矛盾
こうしたリスクの背景にあるのが「政策の矛盾」だ。日銀の金融政策(円安容認)が引き起こした「コストプッシュ型」の住宅価格高騰に対し、国交省が「需要刺激策」(融資枠拡大)という対症療法で対応しようとしている構図である。
これは高騰した価格水準を公的に「追認」し、問題を先送りする恐れがある。公的融資が融資枠を拡大し、高騰した価格水準での購入を可能にし続けるならば、それは市場の価格調整機能を阻害し、デベロッパーや売り手側は価格を下げるインセンティブを失い、高値が維持・助長される弊害を生む可能性がある。
市場の機能不全を是正するため、限度額引き上げは短期的な「止血」として必要性は認められる。しかし、単なる枠の拡大は「日本型」の金融リスクを増大させ、構造改革を遅らせる危険があると指摘しておきたい。
住宅ローンの上限拡大は、家計にとっても一見喜ばしいようにも見えるだろうが、借りれる人が増える分だけ物件の価格も上方にスライドしやすくなるというのが市場原理だ。
求められるのは、高騰が著しい地域に限定した「地域別の上限設定」や、高額融資へのDSR基準厳格化といった「条件」ではないだろうか。日本経済の慢性的な停滞を招かぬよう、極めて慎重な制度設計が求められる。
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