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DX人材「流出」の悪夢を防げ ハイスキル人材を退職させない人事制度4パターンAI・DX時代に“勝てる組織”

多くの日本企業が、このDX人材の獲得・定着において深刻な壁に直面しています。「採用競争に勝てない」「社内で育成したエース級の若手が、より高い報酬を求めて転職してしまう」。高度専門人材を引き付けるために導入するべき4パターンの人事制度を解説します。

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連載:AI・DX時代に“勝てる組織”

AI時代、事業が変われば組織も変わる。新規事業創出に伴う人材再配置やスキルベース組織への転換、全社でのAI活用の浸透など、DX推進を成功に導くために、組織・人材戦略や仕組みづくりはますます重要になる。DX推進や組織変革を支援してきたGrowNexus小出翔氏が、変革を加速させるカギを探る。


 DXが企業の命運を握る最重要アジェンダとなって久しいですが、その成否を分けるのは、テクノロジーそのもの以上に、それを使いこなし変革を推進する「人材」です。

 しかし多くの日本企業が、このDX人材の獲得・定着において深刻な壁に直面しています。「市場価値に見合った報酬を提示できず、採用競争に勝てない」「社内で育成したエース級の若手が、より高い報酬を求めて転職してしまう」。このような声は、もはや珍しいものではありません。

 今、多くの企業は、従来の制度がもたらす「内部公平性」と、人材獲得のための「外部競争力」のジレンマに直面しています。このジレンマを解消し、変化の激しい時代に適合するためには、報酬制度そのものを再設計することが不可欠です。

 本稿では、DX人材市場の現状を踏まえ、高度専門人材を引き付けるために導入するべき4パターンの人事制度を整理し、それぞれの特徴と導入のポイントを解説します。

DX人材市場のリアルと、年功制の機能不全

 なぜ今、報酬制度の見直しが急務なのでしょうか。それは、DX人材の需給バランスが極端に逼迫し、その報酬水準が従来の日本企業の給与体系から大きく乖離し始めているからです。

 この課題の根底にあるのが、長らく日本企業のスタンダードであった「年功序列型」の報酬制度です。勤続年数や年齢に応じて上昇する報酬カーブは、組織へのロイヤリティ醸成には寄与しましたが、個人の持つスキルや専門性の市場価値をタイムリーに反映することには適していません。年功的な処遇では、DXに必要なハイスキル人材を引き付けることは困難です。

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年功制が、DX人材の離脱を招いている(提供:ゲッティイメージズ)

データで見るDX人材の報酬水準

 2025年10月時点の各種求人情報(doda、Openwork、Indeed Japanなど)から大手企業の求人を踏まえると、DX推進スキル標準の主要な人材類型別に、下記のような報酬水準が推定されます。30歳前後から前半の、中堅もしくは一人前クラスを想定しています。

  • ビジネスアーキテクト、データサイエンティスト: 650万〜900万円
  • UXデザイナー: 600万〜900万円
  • サイバーセキュリティ(マネージャー): 600万〜1000万円

 大手金融機関や外資系企業など、もともと報酬水準の高い企業であれば、このレンジでの処遇は可能です。しかし、製造業や小売・サービス業などにおいては、この水準は従来の年功的な処遇体系では容易に到達できない領域です。

 ここに、大きなギャップが生じます。市場価値が800万円の30歳のDX人材を獲得しようとした際、その一方で自社の同年代の既存社員の年収が500万円であるという状況が起こり得ます。年功制を前提とした報酬制度では、この「年齢と報酬の逆転現象」を許容することが極めて困難であり、結果として採用競争力を失ってしまいます。

高度専門人材を活用するための「複線型人事制度」

 年功制の限界を克服し、高度専門人材を処遇するための有効な選択肢として、近年「複線型人事制度」が注目されています。

 複線型人事制度とは、従来の「ライン管理職」を目指すキャリアパスだけでなく、高度な専門性やスキルを生かして組織に貢献する「エキスパート」としてのキャリアパスを整備する仕組みです。

 伝統的な単線型の人事制度では、高い処遇を得るためには管理職になるしかありませんでした。しかし、DX推進においては、必ずしもマネジメント能力だけが求められるわけではありません。複線型人事制度は、専門人材が自身の強みを生かしながら、長期的にキャリアを築ける道を提供します。

 流れは、DX人材にとどまりません。GX(グリーントランスフォーメーション)推進人材、R&D(研究開発)部門の技術者、特定の国家資格保有者など、さまざまな分野の高度専門人材を対象に、エキスパートコースを導入するケースが増加しています。

 しかし導入に当たっては、「外部競争力」を確保しつつ、既存社員との「内部公平性」をいかに担保するかが最大の課題となります。このバランスを欠いた制度改革は、組織内に不要な軋轢(あつれき)を生みかねません。

DX時代の報酬再設計「4つの実践パターン」

 それでは、具体的にどのように制度設計を進めればよいのでしょうか。ここでは、内部公平性を担保しつつ制度設計している企業の事例を4つのパターンに整理します。

 制度設計においては、以下の4つの観点のバランスを考慮することが重要です。

  1. 採用競争力: 市場価値に見合った報酬を提示できるか
  2. 内部公平性: 既存社員との不公平感を生まずに運用できるか
  3. 異動の容易性: 既存コースと専門コースの間で、リスキリングや育成目的の配置転換など人材の流動性を確保できるか
  4. 運用の複雑性: 制度の管理・運用にかかる工数はどの程度か

(1)既存等級制度内での「専門性評価」加点

 複線型のコースは設けず、通常の人事評価制度の中で「専門性」を評価する項目を設け、その評価結果を昇給や賞与に加点する形で反映させます。最も穏健で、導入のハードルが低いアプローチです。

 既存制度の枠内での調整となるため、内部公平性への配慮が最も厚く、受け入れられやすいのが特徴です(内部公平性◎)

 一方で、報酬水準そのものを大きく引き上げる効果は限定的であるため、ハイスキルなエキスパート人材を定着させ、引き止める効果は薄いと言わざるを得ません(採用競争力△)

(2)特定職種・資格への「エキスパート手当」

 次に導入しやすいのが、特定の人材に対して手当を支給する方法です。

 複線型のコースは設けませんが、特定の職種や、社内で認定された高度専門人材に対し、「エキスパート手当」などを支給し、年収を底上げします。

 このパターンの最大のメリットは、基本給体系には手を付けず、手当の「つけ外し」が容易である点です(異動の容易性◎)。市場の動向に合わせて機動的に見直すことが可能であり、まずはここから入るケースが多く見られます。

 手当額次第で一定の採用競争力を確保できますが(採用競争力〇)、支給基準の透明性が重要になります。

(3)管理職層での「コース分岐」

 ここからが本格的な複線型人事制度となります。最もオーソドックスなパターンです。

 一定の等級、多くは管理職に昇格するタイミングで、組織を管理する「マネジメントコース」と、専門性を追求する「エキスパートコース」に分岐します。

 「ジョブ型人事指針」で公開されている大企業の事例でも多数採用されています。特に、管理職以上に対してジョブ型を導入するなど、ハイブリッドでジョブ型を採用する場合には、このパターンは適合しやすいモデルです。もちろん、役割等級や職能等級でも採用可能です。

 エキスパート向けの高い報酬レンジを設定することで、高い採用競争力を確保できます(採用競争力◎)。一方で、コース確定後の異動は容易ではなく(異動の容易性△)、運用の負荷も高まります。

(4)職種別・部門別の「別建て人事制度」

 最もドラスティックで、外部競争力を最大化できるアプローチです。

 採用の入り口から、DX人材など特定の職種に対して、既存社員とは全く異なる人事制度、すなわち職種別人事制度を適用します。

 ジョブ型採用時に適用しやすく、市場価値に基づいた極めて高い報酬水準を設定可能です(採用競争力◎)。特にIT部門やDX部門など、組織とコースを紐づける場合には、運用管理がしやすくなります。

 しかし、同じ社内に全く異なる処遇体系の社員が混在するため、内部公平性の観点からは最も難しい選択となります(内部公平性△)。既存社員との軋轢や、コース間の異動が困難になるリスク(異動の容易性×)をはらんでいます。

【4パターンの評価比較まとめ】

パターン 採用競争力 内部公平性 異動の容易性 運用の複雑性
(1) 専門性評価加点
(2) エキスパート手当 低〜中
(3) 管理職層でのコース分岐 中〜高
(4) 別建て人事制度 ×

制度導入を成功に導くためのポイント

 どのパターンを選択するにせよ、制度改革を成功に導くためには、共通して押さえるべき勘所があります。

1.「透明性」と「納得性」の確保

 人事制度改革は、社員にとって最もセンシティブなテーマです。なぜ今、この改革が必要なのか。なぜ特定のDX人材が高い報酬を得るのか。経営トップ自らがその背景と目的を明確に発信し、社員の理解と共感を得ることが不可欠です。

 単に「市場相場が高いから」という理由だけでは、内部の納得感は得られません。制度の設計思想や評価基準を可能な限りオープンにし、「透明性」を高めることで、「納得性」を醸成する必要があります。

2.「専門性」の定義と評価基準の明確化

 エキスパートを処遇するためには、「何をもってエキスパートとするのか」という定義が曖昧(あいまい)であってはなりません。対象となるスキルや専門性の領域を特定し、そのレベルを客観的に評価・認定する仕組みが必要です。

 そのためには、「職務」や「スキル」の価値を客観的に定義し、それが企業の価値創造にどう貢献するのかを明確にする必要があります。

3. リスキリングとの連動とキャリアパスの提示

 特定のDX人材だけを優遇する制度改革は、その他の社員のモチベーションを低下させかねません。重要なのは、既存社員に対しても、リスキリングによって専門性を高めれば、エキスパートとしてのキャリアパスが開かれていると示すことです。コース間の流動性を担保し、誰もが新たなスキル獲得に挑戦できる機会を提供することこそが、内部公平性を担保し、組織全体の活力を高めるための鍵となります。

まとめ

 変化の激しいDX時代において、画一的で硬直的な年功序列型の報酬制度を維持することは、もはや経営上のリスクと言わざるを得ません。ハイスキル人材を獲得し、その能力を最大限に引き出すためには、個人の持つスキルと貢献度に見合った、柔軟でメリハリのある報酬体系への再設計が不可欠です。

 本稿で紹介した4つのパターンは、その実現に向けた具体的な道筋を示すものです。それは単なる人事制度の変更ではありません。どのような人材を評価し、どのようなキャリアパスを提供するのかという、企業の価値観と成長戦略そのものを問う取り組みです。実現に当たっては、この観点を重要視することが従業員にとって受け入れやすい制度設計のカギになります。

著者紹介:小出翔

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GrowNexus代表取締役

デロイトトーマツコンサルティングにて14年間のコンサルティング経験を経て、GrowNexusを設立。

多様な業界の大手企業・官公庁・自治体に対し、人事・組織改革、新規事業創出、業務効率化の戦略策定から実行・伴走支援まで幅広く手掛ける。近年はDX推進に加え、デジタル人材戦略から採用・配置・育成・評価・処遇に至る一貫した支援を実施。経産省・IPAのデジタルスキル標準策定も支援しており、デジタル時代の人材・リスキリングに特に強みを持つ。GrowNexusの代表として、伴走・成長支援型のサービスと、テクノロジーを融合した新しいサービスを提供。

著書に『未来のキャリアを創る リスキリング』『地銀”生き残り”のビジネスモデル 5つの類型とそれらを支えるDX』『働き方改革 7つのデザイン』他。

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