「SaaS is Dead」時代を生き抜くAIネイティブ企業の条件 上場企業が苦しむ“ジレンマ“の正体(2/3 ページ)
2月3日、米Anthropicが法務ビジネス向けの自律型AIエージェント「Claude Cowork」を公開したことで、欧米の法務サービス大手の株価が急落し、たった一日で、米国のソフトウェア関連株から43兆円の時価総額が“消えた”。既存のSaaSにAIを組み込むのではなく、AIネイティブなサービス開発ができなければ、今後SaaS企業は淘汰されてしまうのではないか……そんな見方が強まっている。
プロダクト開発の常識も大きく変わっている
では、AIネイティブなプロダクト──人の仕事を丸ごと引き受けるサービスは、市場でどう受け入れられるのか。従来型SaaSでは、プロダクトを開発し、β版を提供し、顧客のフィードバックを繰り返しながらPMF(プロダクト・マーケット・フィット)にたどり着くのが一般的だった。数年を要することも珍しくない。
PeopleXのAI面接は、その常識を覆す速度でPMFに到達した。「リリース前にすでに年間3000万円ぐらいの受注が確定していた」と橘CEOは振り返る。
面接のデモを見せた段階で、顧客が「これなら面接官の代替になる」と判断し、人件費換算で導入を即決したのだという。
「AIビッグバンが起きているんだなという実感が湧いた」
この速度は最初の製品に限った話ではない。PeopleXはAI面接に続き、営業トレーニング向けのAIロープレ、上司と部下の1on1を代替するAI面談と、次々にプロダクトを投入している。3つ目のAI面談も「リリース前に年間5000万円ぐらいの売り上げが確定した」という。
顧客にとって「何時間分の人件費が浮くか」が即座に計算できるコンセプトだからこそ、製品が完成する前に導入が決まる。
収益構造にも違いが表れている。従来型SaaSでは、顧客獲得にかけたコストを12カ月で回収するのが標準とされてきた。PeopleXの場合、それが3カ月に短縮されている。人件費と比較される価格設定だからこそ、顧客単価が高く、投資の回収が速い。
T2D3からQ2T3へ
こうした成長速度の違いは、投資家の評価基準そのものも書き換えつつある。
SaaS時代、スタートアップの成長を測る指標として広く知られていたのがT2D3(※)である。年間売上を毎年3倍、3倍、2倍、2倍、2倍と伸ばしていく成長モデルで、SmartHRのような超一流のSaaS企業だけがこの軌道に乗ることができた。
※T2D3とは、PMF(Product-Market Fit)の後で、Triple、Triple、Double、Double、DoubleでARRを毎年伸ばしていくこと。これが実現できるスタートアップは、良いSaaSを提供できているという目安指標とされてきた
AIネイティブ時代に入り、この基準が塗り替えられようとしている。新たな指標として浮上しているのがQ2T3だ。4倍、4倍、3倍、3倍、3倍という成長軌道である。米国のベンチャーキャピタル、ベッセマー・ベンチャー・パートナーズが提唱したこの指標は、AIネイティブ企業の成長速度を測る新たなベンチマークとして認知が広がりつつある。
橘CEOは「Q2T3を突破しているかどうか、これが重要だ」と語る。AIネイティブを名乗っていても、この成長軌道に乗っていなければ投資家の評価は得られない。逆に言えば、投資家にとっての判断基準は「AIを使っているかどうか」ではなく、「Q2T3の軌道に乗っているかどうか」に移っている。
従来型SaaSではT2D3がモデル上の限界に近く、それを超えること自体が難しかった。人件費と比較される単価構造と速い収益回収を持つからこそ、Q2T3という成長速度が現実のものになる。成長指標の変化は、ビジネスモデルの構造変化と表裏一体である。
この変化は投資市場にも波及した。橘CEOによれば、ベンチャーキャピタルなどのプライベートマーケット(未公開株市場)では、2024年の時点で潮目が変わっていた。「米国のYコンビネータやアンドリーセン・ホロウィッツの投資家の8割がAIスタートアップに向かっている」
一方、パブリックマーケット(公開株市場)にこの変化が表れたのは、今年1月のAnthropicショック前後である。水面下の地殻変動が株価に反映されるまでに、約2年かかった計算になる。
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