「あの人、老害だから」で片付けていないか 職場の“年齢ラベリング”が招くリスク:働き方の見取り図(2/2 ページ)
「老害」という言葉が、職場や日常会話の中で当たり前のように使われている。年配者による時代錯誤な言動を批判する言葉として浸透した一方で、そのラベリングは本当に適切なのだろうか。「老害」という言葉が職場にもたらす影響を考える。
「年齢ラベリング」が職場から奪うもの
実際に威圧的な言動や時代錯誤な価値観によって周囲を疲弊させるケースが存在するのも事実です。
また、年配者が老害と言われてしまうのは、年長の人を敬う姿勢の裏返しという側面もあります。人生の先輩が重ねてきた経験は尊重されるべきであっても、高じると若年者を萎縮させる要因にもなり得ます。
年配者側にその気はなくとも、日頃の振る舞いが周囲を威圧してしまっている可能性がある点には注意が必要です。命令口調になったり押し付けになったりしてはいないか、相手が若輩だからと軽んじているようなことはないかと、年配者自身も言動に注意を払う姿勢が求められます。
また、年配者が「自分は老害だから」などと自虐的に表現することもあります。しかし、組織全体を見渡すと自身が最も年長だとは限りません。働くシニア層が増えている中で、年上の社員が転職してくることもあり得ます。自身を老害と呼んでしまうと、自分よりも年長の人を無意識に傷つけてしまうこともあります。
職務のイメージが性別と固定的にひも付けられることが疑問視され「保母」や「看護婦」といった言葉は「保育士」「看護師」へと置き換わりました。これは、性別による固定観念をなくしていこうという意識変化の表れです。
一方で、老害という年齢によってラベリングされた侮辱的な言葉が、日常的に使われていることには強い違和感を覚えます。
保母や看護婦といった言葉には、女性特有の仕事であるかのような印象を与える懸念はあるものの、通常は侮辱的な意味は含まれません。老害という言葉は、よりデリケートだと認識する必要があるように思います。本人に悪気がなくても、年齢を理由に人格や価値を否定されたと感じる人がいても不思議ではないほど強い言葉です。
同じことは職場に限らず、家庭、地域社会、SNSなど社会全般のコミュニケーションにおいても当てはまります。老害という言葉が日常会話の中で使われ続けている限り、エイジハラスメント、ダイバーシティ、人権などに対する意識がまだ十分に浸透していない証と言えるのではないでしょうか。
著者プロフィール:川上敬太郎(かわかみ・けいたろう)
ワークスタイル研究家。1973年三重県津市生まれ。愛知大学文学部卒業後、大手人材サービス企業の事業責任者、業界専門誌『月刊人材ビジネス』営業推進部部長 兼 編集委員の他、経営企画・人事・広報部門等の役員・管理職を歴任。所長として立ち上げた調査機関『しゅふJOB総研』では、仕事と家庭の両立を希望する主婦・主夫層を中心にのべ5万人以上の声を調査。レポートは300本を超える。雇用労働分野に20年以上携わり、厚生労働省委託事業検討会委員等も務める。NHK「あさイチ」「クローズアップ現代」他メディア出演多数。
現在は、『人材サービスの公益的発展を考える会』主宰、『ヒトラボ』編集長、しゅふJOB総研 研究顧問、すばる審査評価機構 非常勤監査役の他、執筆、講演、広報ブランディングアドバイザリー等に従事。日本労務学会員。男女の双子を含む4児の父で兼業主夫。
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