イーロン・マスク「2036年、お金は要らなくなる」は本当か? 人間が労働から解放される説を歴史から考える:古田拓也「今更聞けないお金とビジネス」(4/4 ページ)
イーロン・マスク氏の「誰もが思いつくものを何でも手にできる、驚くほど豊かな時代が来る」という発言は本当に実現するのか?
日本人は「富を失う側」になる?
では、ここから先の10年はどうなるのか。
マスク氏の「お金が意味を持たなくなる」という予測に有利な材料としては、AIがこれまで人手に頼ってきた仕事を効率化し、人間の労働そのものを代替し始めている点が挙げられる。
先ほどのコスト病の事例は、サービス業に人間の労働が不可欠であることを前提にしている。しかし、フィジカルAIが介護や医療、接客、調理などを担うようになれば、その前提自体が崩れる。これまでの自動化は、主に「モノづくり(製品の生産)」を効率よくするためのものだったが、今回は人間が担ってきたサービスまで自動化の対象になる。その意味で、「AIはこれまでの技術革新とは違う」という主張には一定の説得力がある。
一方で、マスク氏の予測とは異なる立場の材料も多い。
そもそもケインズ氏は生産性の向上についてはおおむね正しく予測した一方で、生産性が上がれば人間が労働から解放されるという点では外れた。
その背景には、人間の欲求の「相対性」がある。ケインズ氏は、人間の欲求を2つに分類した。生きていくために必要なものを求める「絶対的欲求」と、他人より豊かでありたい、優れていたいと考える「相対的欲求」である。そして、後者には際限がないことも認識していた。それでも彼は、絶対的欲求が満たされるほど社会が豊かになれば、相対的欲求の重要性も薄れていくと考えていた。
しかし実際は、生活に必要なものが十分に手に入るようになっても、人間の欲望そのものはなくならなかった。「他人より豊かでありたい」といった欲求や競争心から、それを実現するために働き、より多くのお金を得ようとしたのである。
さらに、仮に競争がむだに思えるほどの豊かさが実現しても、その富が世界中の人に自動的かつ平等に行き渡るわけではない。
AIやロボットが大量のモノやサービスを生み出せるようになったとしても、それらを生み出すロボットやデータセンター、エネルギーなどの基盤設備には、所有する企業や個人が存在する。そのため、「誰もが何でも手にできる世界」を実現するには、その富が特定の企業や個人に集中しないよう、きちんと分配する政治的な判断が必要になる。
ここで難しいのは、「富裕層から貧困層へ分配すれば済む」という単純な話ではないことだ。
仮に世界規模で富を平等に分配するなら、富裕層はもちろん、豊かな国で暮らす中間層も相対的に「富を持っている側」となり、分配する側になる。
その意味では、日本人の多くも無関係ではない。世界全体で見れば、日本で一般的な暮らしを送る人も相対的に豊かな側となるからだ。世界規模で富を均等に分配するのであれば、多くの日本人が現在持っている豊かさの一部を手放す側になる可能性もある。
スイス金融大手のUBSのグローバル・ウェルス・レポートによると、日本は成人一人当たりの資産中央値で世界10位となっている。世界的に見れば、それだけ多くの人が一定の資産を持つ国なのだ。
「豊かな世界」で考えるべきことは
仮に世界規模で富を均等に分配するとなった場合、私たちはこれまで積み立ててきた預金や株式などの金融資産を手放せるのだろうか。「頑張って働いて貯めたのだから、簡単に手放すことはできない」と少しでも思うのであれば、お金が意味を失う世界を簡単に受け入れることは難しいだろう。
そう考えると、マスク氏が予言する2036年に向けて問うべきなのは、「お金は本当に不要になるのか」ではないのかもしれない。AIによってさまざまな財やサービスが安くなったとき、それでもお金を払う価値があるものは何なのか。そして、AIやロボットによって生み出された莫大な富を、誰がどのように分配するのかを考えることが重要になるだろう。
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