電子書籍時代に出版社は必要か――創造のサイクルと出版者の権利をめぐってほぼ全文書き起こし(2/7 ページ)

» 2012年08月23日 14時30分 公開
[ITmedia]

出版社は電子書籍の時代に必要か――パネリストはこう考える

福井 さて、ここで、パネリストの皆さんに、オープニングのコメントを頂きたいと思うんですね。まさに本日のテーマ、タイトルである「出版社は電子書籍の時代にあって、必要でしょうか?」について、お座りの順番で宜しいですかね? では、赤松さんからお1人5分ということで、これに関連して「今日はこれを伝えておきたい」といったことがあれば、一緒にお話頂ければと思います。よろしくお願いいたします。


「直し能力」「新人育成能力」の2点だけとっても、出版社は必要――赤松健

赤松 赤松です。よろしくお願いいたします。漫画の場合は、ちょっと特殊な気がするんですよね。「バクマン」あの、終わりましたけど、漫画家が絵コンテ描いて、それを、編集者が直すじゃないですか、これつまんないとか、ここんとこ切ってとか、この女の子もう少しでかくしてとか、もしくは、これ裸にしちゃおうとか。漫画家がパッと書いた思いついたものを、読者のために、読みやすいように、いろいろ変形させるんですよね。これが“直し”。

 出版社はこういう直しの能力を持った編集者をいっぱい持ってる。いまはね。そういう直しという能力がある以上は、基本、漫画家あるいは作家としては、編集者・出版社はなくては困るものなんです。

 で、もう1つね、新人さんなんですけど、新人さんをもう心構えの段階からこう育てていく、みたいなのもやっぱり編集者の力なんですよね。浦沢直樹先生が長崎(尚志)さんというブレーン持ってますけど、元編集者ですよね。フリーでも、まあ、問題は無いんですけど、もしちょっと対立しちゃったりすると他の人に変えることもできるし、出版社の中にそういう優秀な直し能力を持つ編集者がいるんだったら、漫画家としては出版社はなくてはならないものなのかな、と考えています。Amazonがもし出版社になりたいと思ってるんだったら、編集者、直し能力を持った編集者が必須ですよね。それを集めてるっていううわさ、実際にありますよ。

 私は作家としては、「直し能力」「新人育成能力」の2点だけとっても、出版社は必要じゃないか、という意見ではあります。

福井 ……。

赤松 早いですか?

(会場笑い)

赤松 だって、20分くらいとっちゃったから福井先生が。5分で済ますって言ってたでしょ?

(会場笑い)

福井 私ですね。私ですよね。すいません。えーーーもう、ご協力に大変感謝しつつ、それでは、植村さんお願いいたします。

中抜きなんか起こってなくて、むしろ独占が起こっている――植村八潮

赤松氏と植村氏

植村 はい、植村です。ご存知の方も多いと思いますけど、実は3月まで出版社に務めてましてね、だからここでもバリバリの出版擁護論を喋るって、出版社の皆さん期待しないでくださいね。

 まずね、「出版社って何なんだろう」っていうことを確認しておくと、さっき福井さんが人としての“者”って意味での出版者って、これ凄く大事なポイントだと思っています。僕流の言い方にすると、既存の出版“社”を意識しないってことで今日議論していると思うんです。だからやっぱり、今ある出版社、ね、経営厳しいからうちを何とかしろよってことに関して僕は全然興味がない。そうではなくて、「出版“者”という役割は必要」だっていう絶対的な立場に立ちます。純粋に、誰の手も借りずに、作品を作って、それが売れる仕組みができるわけがないと思っているので。

 作家とかクリエイターを手助けする編集に加えて、もう1つ「セールスプロモーション」ってのが絶対必要だと思ってるの。この組み合わせがなければ、人々にいい作品が届かない。あるいは、いい作品を生み出すメカニズムはない。そして、それについて、汗をかいた人たちは、その汗をかいたことで食えなきゃいけないって思ってるんですよ。

 「いや、中抜き論ってあったじゃないか」ってことを言われたら、特にインターネットが登場したときの、要するに「インターネット市民論」みたいなね、ネットさえあれば、誰でもが発言して人々に届けられるってあったけど、そんなの起こってないでしょ? いや、起こってるって思ってる人は、牧歌的なイメージの中にとどまっているだけで、今、起こってるのはお世話になってるAmazonとか、検索でお世話になってるGoogleとか、音楽で僕もお世話になるけど、Appleとか。確かにそういうのがあって、これ全然ですね、プラットフォーマーによってしかコンテンツは流通していないんですよ。ネットの上に流通しているのって、確かにチャネルとしてはあるかもしれないけど、その上にプラットフォーマーの存在があるから、膨大なコンテンツが流通しているんだという立場に立てば、「中抜きなんか起こってなくて、むしろ独占が起こっている」と捉えた方がいいと僕は思ってます。

 だから、素晴らしいサービスが実現できるわけですよ やっぱりAmazon、本当に多くの本を、早く探せて届けてくれるっていういいサービスをしてる。でも、僕はチャネルの独占は凄く暗い未来が待っていると思う人間だから。

 僕は、誰もが発言して誰もがコンテンツが売れて、誰もが自由に参入できる環境の方がとっても好きなのね。小さな出版社とかが、群雄割拠というかいろんな人が「俺もやるよ」っていうような、日本的な出版システムの方が好きなんです。そして、出版社っていうのは、それはもうさっき赤松さんが言ったとおり。締め切りも何もなくて誰もお尻も叩いてくれなくてね、書けるっていう確信ある人って、いやほとんどいないだろうな。

 あと実用書に関して言えば、実用書って本当に出版社によって作られると思ってます。そういう意味でも出版社は必要で、もう1つポイントとして(出版社の)セールスプロモーションも必要だろうなと思ってます。というところでいいでしょうか。

福井 あれ、植村さんももう……よろしいんですか。

植村 もう充分です。はい。今日は時間厳守ですから。福井さん除いて。

赤松 そうそう。誰かがとっちゃったから。

(会場笑い)

福井 あれ、私これちょっと、大変な司会引き受けちゃったとか、最初思ったんですけれども。ひょっとして、私の方が大変な人?

(会場笑い)

福井 はい、ありがとうございます。今のだけでも非常に多くの論点を出して頂いて、この先が楽しみになってきましたけれども、岡田さん、よろしくお願いします。

守ってあげたい――岡田斗司夫

岡田 はい。僕は赤松先生、植村先生のどうあるべきか、というよりは僕の今の気持ちです。多分ここにあるフリップは、こういうことを書くためにあるんだと思います。

(笑い)

岡田 「守ってあげたい」出版社に関しては、基本的に僕は撤退戦だと思ってます。これから先すごく厳しくなると思うんですけども、今の気持ちとしてはですね、出版社と書店、そういうようなものが、すっごい厳しくなると思いますので、守ってあげたいと僕は思うし、あとですね、出版に関わる人ではなくて、読者とか。

 あと日本で本が好きな人たちは、どちらかというと、「どうやれば安くなるのか」とか「どういうふうにすれば自分たちが有利なのか」ではなくて、長期的な視点で、今の本を読むという文化を守ってあげるには、どうすればいいのか、という方向で考えた方が、多分100年200年のレベルで、僕らに有利になると思うんですね。

 なので、今の僕の意見は、「守ってあげたい」です。ただこれは、このシンポジウム開始時の意見ですから、ここから先、話してると、守ってあげたくなくなるかもしれませんので、そこはちょっとお含みください。以上です。

福井 ありがとうございました。えーーーっとね、何か皆さんどんどん短くなってますけれども。そう、フリップはどうぞ自由にお使いください。途中で1回、全員にお書きくださいとお願いするところがあるかもしれませんので、1面だけ空けておいて頂ければ、あとはもう自由にお使い頂ければと思います。それでは、三田さん、よろしくお願いします。

出版社が紙の本を作ってくれなければ、作家が持続的に仕事できなくなる――三田誠広

三田 はい。福井先生の最初の説明に出てきました、文化庁の審議会であるとか、中川勉強会という怪しいものがありますけれども、それにも私は参加しておりまして、出版社に隣接権を与えようということをずっと言い続けてきました。

 それは何のために言っているのかというと、文芸家協会副理事長として言ってるわけです。三田個人がどう思ってるのかを普段あまり深く考えたことはないんですけれども、皆さんの意見を聞きながらずっと考えてきたんですが、やっぱり出版社は要るだろうと思います。

 なぜ要るのかというのをものすごく個人的なことから言います。先月出た私の本であります。『新釈悪霊」という本でありますけれども、作品社というところから出たもので、これはドストエフスキーの『悪霊』を書き直したものというか、原典の前編に当たる部分を書いて、それから、原典そのものを書き直して、結末をちょっと書き換えたものであります。『悪霊」はドストエフスキーの作品の中で一番難解なもので、多くの人が途中で読むのをやめてしまうんですが、これ読むと全部きれいに分かるという凄いものであります。

(会場笑い)

三田 ただ、前編を書いて、後編も書き直したんで、原典の2倍くらいの長さになってしまってるんですね。小説の形なんだけど、私は評論、まあ、あの、謎解きだと思ってます。でも、これ、分厚いんですね。で、4800円です。まあ、5000円近くするわけですね。今大きな本屋さんに行きますと、平積みで置いてもらってます。3冊しか配本されてないと思うんですけれども、3冊でも隣の本より高くなってるんですね。

(会場笑い)

三田 それで、これ5000円の本です。この5000円という定価は、私の印税と出版社の取り分と全部入れて定価をつけておりますので、まあ、5000円の価値があるものであります。これ2冊で1万円ですね。で、初版何冊刷ったか知らないんですが、2000冊刷ったとしても1000万円掛かるわけであります。でこれ、全然売れなかったら誰が責任を取るのかというと、私は責任取りません。印税も貰うわけですね。この1000万円を誰が出してるかというと、出版社が出しております。本屋さんに平積みになっておりますけれども、誰も買わなかったら返本すればいいんですね。本屋さんはただ本を置いているだけでありますから、責任を取りません。

 結局ですね、本を出版するということは、出版社がお金を出して、紙の本に印刷して出してくれるということであります。もし、出版社がなくて、私がワープロで書いたものをネット上にPDFファイルか何かで出すというのは寂しいことであります。

 私、原稿を出す段階よりも前、企画の段階で、「ドストエフスキーの主要な作品を解明する評論なんだけれども小説の形になっている」というプランを言いましたら、担当編集者が「そりゃあ面白い。ぜひ出しましょう」と言ってくれるわけですね。この、言ってくれることがモチベーションになります。

 口で言うだけではないんです。本を出すということはですね、1000万くらい投資をしなければいけないわけであります。だから、その担当編集者及び出版社が、私の作品これ凄いよと認めてくれてお金を出してくれて本屋さんに平積みで置くだけの部数を刷ってくれていることが私の励みになってますし、原稿を見せた段階でね、担当編集者が、「これは私が今まで読んだ本の中で一番面白い」とか嘘でも励ますようなことを言ってくれるわけですね。そういうふうに、経済的にもギャンブルなのを承知の上で投資をしてくれ、なおかつこれは凄い本だと言って励ましてくれる出版社がなければ、本を書くというような面倒くさいことを持続的にやるのは難しいかな、というふうに思ってます。

 世の中に出ている多くの本がですね、そういう出版社の編集者に励まされながら作家が書き、同時に、売れる本でしたら、初版何万部で刷ることによって、出版社が投資することで本が世に出てくるわけであります。テレビやラジオで本を宣伝することはほとんどありません。本屋さんに行ったら、平積みになっているのが何よりの宣伝ですし、これまでも、本というものはそういうことで売れてきたわけであります。

 それから、出版社は初版を多めに刷ります。平積みに置かないと売れないからです。だから、書き下ろしで書いても作家は初版部数のお金を頂けるということであります。電子書籍はですね、ネット上に置いても、1つも売れないかもしれないわけですね。初版部数の印税を貰えるというのが一種の契約金に当たりますが、電子書籍の場合は、1冊売れたらいくらあげますよーということだと、売れなかったら作家にまったくお金が入ってこないことになります。そういう意味でも、出版社というものは、身銭を切って作家の書く作品に賭けてくれているわけで、出版社が紙の本を作ってくれるということがなければ、作家が持続的に仕事をすることができなくなるだろうなと思います。

 その意味で、紙の本が売れて元をとった後で電子書籍にするのはよいと思いますけれども、紙の本そのものがなくなってしまうことは、日本の文芸文化がそこで終わってしまうことではないかなと考えてます。以上です。

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