「ECC移行もAI活用もスピードが鍵」 SAPジャパン新社長の堀川氏に聞く「SAP Sapphire Madrid in 2026」現地レポート

ECC移行の停滞やAI活用の遅れなど、日本企業が直面するプロジェクト長期化の壁をどう打破するのか。SAPジャパンの新社長に就任した堀川嘉朗氏が、生成AIのインパクトや「自律型エンタープライズ」がもたらすスピード変革の全貌を語る。

» 2026年06月15日 07時00分 公開
[末岡洋子ITmedia]

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 SAPジャパンは2026年4月、新社長に堀川嘉朗氏を迎えた。前社長の鈴木洋史氏が6年間にわたり推進してきたクラウドシフトにより、同社は現在「クラウドカンパニー」への変革を遂げている。

 その変革を次のステージへ進める上で、堀川氏が新たに掲げるキーワードが「スピード」だ。グローバルが推進するAIファースト戦略を継承しながら、日本企業のラップタイムをいかに短縮していくのか。スペイン・マドリードで2026年5月に開催されたSAPの年次イベント「Sapphire 2026」の会場で、堀川氏に今後の戦略を聞いた。

堀川嘉朗氏(筆者撮影)

日本のプロジェクトを阻むラップタイムの壁、鍵はスピード

──社長就任以降、顧客やパートナーと話して感じたことは。

堀川氏: 就任の発表があった3月初旬から、引き継ぎを進めながら、お客さまやパートナーの皆さまへのごあいさつに回ってきました。私はSAPに13年間在籍していますので、多くの方とは以前から面識がありましたが、改めてお話しする中で期待の声を頂いたり、私の考えや今後の方向性をお伝えしたりしてきました。

 その際に意識しているのは、SAPのグローバル戦略をそのまま伝えるのではなく、日本のお客さまが置かれている状況に照らし合わせて、AIを活用したビジネス戦略がどのような価値をもたらすのかを、できるだけ具体的にお話しすることです。

 実際、ほぼ全ての経営者との会話でAIが話題になります。IT業界に限らず、多くの企業のトップとお会いしていますが、AIを企業経営にどう生かしていくのかは必ずと言っていいほど議論になります。その中で改めて感じるのは、SAPが50年以上にわたって蓄積してきた業務知見やデータを、実際の業務や経営課題の解決にどう結び付けていくのかが非常に重要だということです。

 そして、そうした対話を通じて改めて確信したのが、「スピード」こそが今の日本企業にとって最重要課題だということです。導入のスピードを上げ、適応のスピードを上げ、その先の活用につなげていく。私は社長就任前の10年間、サービス部門で実際のプロジェクトを見てきました。クラウドでは利用状況を統計データとしてリアルタイムに把握できますが、日本のプロジェクトはグローバル標準と比べて平均で1.5〜2倍の期間を要しています。

 グローバルのリーダーは、こうした変革のスピードを「ラップタイム」という言葉で表現しています。オンプレミスからクラウドへ移行し、データ基盤を整備し、その先のAI活用へと進む。それぞれのラップタイムが長ければ長いほど、企業は競争の中で周回遅れになってしまいます。

 経営判断に必要な情報がそろうまでに時間がかかる、あるいはそのための基盤整備に何年も費やす――そうした余裕はもはやありません。変革に要する時間、つまりラップタイムをいかに短縮するか。それが今、日本のお客さまにとって待ったなしの課題だと実感しています。

──鈴木前社長から引き継ぐもの、堀川体制で変えていくものは。

堀川氏: 鈴木が率いてきた6年間で、SAPジャパンは完全に「クラウドの会社」へと変わりました。クラウドは売って終わりではありません。導入し、新たな機能を継続的に活用しながら、お客さまの経営変革につなげていく。そのサイクルを回し続けるビジネスです。私自身、そのモデルづくりに深く関わってきたという自負がありますので、この流れは今後もさらに発展させていきたいと考えています。

 その一方で、私が鈴木以上に重視しているのがパートナーの皆さまとの連携です。従来の導入方法論だけでは、お客さまが求めるスピードには対応しきれません。だからこそ、パートナーの皆さまにも新しいテクノロジーや手法に積極的に挑戦していただく必要があります。

 その代表例が、今回強化した「Joule Studio」と「Joule Consultant」です。Joule Studioは、SAPの機能や活用方法をAIが自然言語で提案するツールであり、Joule Consultantは、その機能をコンサルタントの実務に組み込んだものです。これらの登場によって、SAPコンサルタントに求められる役割は大きく変わっていくでしょう。

 これまでSAPコンサルタントの価値は、知識量そのものにありました。ですが、Jouleによって必要な知識を瞬時に引き出せるようになった今、本当に重要なのは、その知識を活用してお客さまの本質的な課題を短期間で見極め、最短距離で成果につなげることです。

 先日も、ある日本の製造業の社長との面談でJoule Consultantをその場で立ち上げてお見せしました。日本語で問いかけるだけで、機能の説明から検討材料、実現可能な範囲、導入期間の目安まで回答してくれる。その対話型のアプローチに、社長も大きな驚きを示されていました。

生成AI「Joule」が変えるコンサルタントの価値と試験の在り方

──Joule Consultantはコンサル不足や導入の長期化問題を解決する鍵になるか。

堀川氏: これまでの前提は抜本的に変わっていくと考えています。もちろん、実務経験やJouleの回答を正しく見極めて適用する力は引き続き重要ですが、従来のような「SAPの知識量そのもの」が問われるハードルは確実に下がっていきます。

 実際、認定資格も2025年から大きく変わりました。これまでは、何も持ち込めない環境で純粋な知識量を問う試験でしたが、2026年からは一転して、Jouleの活用を前提としたシナリオベースのロールプレイ形式に移行しています。知識の暗記ではなく、お客さまの要件を引き出し、最適なアプローチへ導けるかどうかが問われる内容です。

 社内のサービス部門でも、既に2025年からJouleを活用しています。経験の浅い若手と20〜30年のベテランが一緒に問いかけると、ベテランであっても「これまで出てこなかった答えが返ってくる」と驚く場面があります。知識量そのものよりも、お客さまの課題をどれだけ深く掘り下げられるかが、今後の価値になっていくと感じています。

 Joule Consultantは、お客さまの業務プロセスの現状を分析した上で回答できるため、提案の精度も高まります。「このプロセスは無駄があり、自動化できます」といった指摘も可能になります。さらに、プロセスマイニングツールである「SAP Signavio」と組み合わせることで、実際の業務プロセスから改善点を定量的に抽出することもできます。

 クラウド環境であるため検証用システムを迅速に立ち上げることができ、試行錯誤を繰り返しながら短期間でプロジェクトを進めることが可能です。実際に海外では、9カ月を想定していたプロジェクトが13週間で完了した事例もあります。

──SAP ECC 6.0(以下、ECC)のサポート期限が迫る中、移行の障壁はどう解消されるのか。

堀川氏: Sapphire 2026では、SAPはECCユーザー向けに大きなアップデートを発表しました。「RISE with SAP」を採用し、クラウド移行と業務変革のロードマップを進めているお客さまであれば、クラウド移行が完了する前の段階でも、JouleアシスタントやAIエージェントを利用できるようになります。新たに提供される「IC Connector」(ECC Connector)を活用することで、現行のECC環境のままAI機能を使い始めることが可能になります。

 さらに移行支援の領域では、データクレンジングやプロセス標準化を支援する「7つの移行・近代化アシスタント」が新たに提供されます。AIを活用したデータ移行、テスト自動化、BPRなどのツール群により、移行工数を最大50%削減することを目指しています。

 中でも移行において最も大きな負荷となるのがデータ移行です。基調講演でも紹介されたReltioは、マスターデータ管理を専門とする企業であり、AIを活用してデータを整備した上で移行できる仕組みを提供しています。SAPのデータ移行ツールと組み合わせることで、精度向上と期間短縮を同時に実現できるだけでなく、その後のバージョンアップにも再利用できる点が特徴です。

 また、もう一つの大きな課題はユーザーの心理的な抵抗です。業務そのものの変更以上に、システムの操作性が変わることへの戸惑いが障壁になるケースも少なくありません。こうした点については、「WalkMe」のようなデジタルアダプションツールを活用することで、利用者の不安を抑えながらスムーズな移行を実現するアプローチが有効になります。

 加えて、移行を支援するパートナーの不足といった課題も、先ほど触れたJouleによる認定プロセスの変化や、各種ツールの自動化、AI化によって着実に改善されつつあります。ECCをご利用のお客さまには、移行を諦めるのではなく、新しいソリューションを積極的に活用していただきたいと考えています。

データとAIを意識させない経営、「自律型エンタープライズ」の本質

──「自律型エンタープライズ」が発表された。日本ではどのように展開していくのか。

堀川氏: 本日の基調講演で、クリスチャン・クラインは「SAPはこれからもソフトウェア企業であり続けるのか」という本質的な問いを投げかけました。私が就任以来発信してきたメッセージは、一貫してこの問いへの答えを示すものでもあります。

 SAPは企業運営に関わるデータを多く保有しています。ERPを通じて蓄積されたビジネスコンテキストを持つデータは、AIにとって最も価値の高い活用基盤です。自律型エンタープライズとは、AIが人の気付かない課題を発見し、対応策を提示し、意思決定の後には実行まで担う──そうした企業経営の姿を指しています。

 一方で、AIに判断や実行を委ねるためには、データの品質が極めて重要になります。その前提として業務プロセスを正しく接続し、ERPを変革の基盤として再定義する必要があります。クリスチャン・クラインが「SAPはソフトウェア企業ではなく、企業の根幹を支える仕組みを提供する存在である」と語ったのは、まさにその意味だと捉えています。ERP、データ、AIといった要素を個別に意識するのではなく、それらを統合した形で経営できる状態──それが自律型エンタープライズの最終形だと考えています。

 こうしたビジョンは、日本の経営者の間でも既に現実的なものとして受け止められつつあります。先日も製造業のお客さまで、社長を含む役員5人に対し、Jouleが経営状況を分析しCEOに提案を行うデモを実施しました。「関税政策の影響を受けた際に、自社製品への影響を財務からサプライチェーン、人事までをトータルでシミュレーションする」というシナリオに対して、「まさに自分たちが実現したかったデータドリブン経営だ」という反応をいただきました。これは単なるIT導入ではなく、経営そのものの変革として受け止められていると感じています。

──Sapphireマドリードではソブリン(データ主権)が重要なトピックの一つになった。日本市場での対応は。

堀川氏: 日本でもこのテーマについては、真剣な検討が始まっています。その背景には幾つかの要因があります。ハイパースケーラーへの依存に対する懸念や地政学的リスクの高まりに加え、クラウドの適用領域がミッションクリティカルな領域にまで広がってきたことなどが挙げられます。

 SAPにはお客さまの基幹業務データが集約されており、ソブリンクラウドへの対応は企業経営に直結する重要な課題だと認識しています。

 EUやシンガポールでは既に取り組みが進んでおり、これらの動きと並行して、日本における対応についても本格的な検討が進められています。現時点で詳細をお伝えできる段階にはありませんが、企業からのニーズが高まっていることは確かです。

──就任時に「和魂洋才」というキーワードを掲げた。日本では自律型エンタープライズをどのように実現していくのか。

堀川氏: スピード感を最優先に取り組みを進めていきます。お客さまとパートナーの皆さま、そしてSAPジャパンが一体となる中で、製品ありきではなく、経営者の方々との対話を継続することを重視しています。

 SAPジャパンでは以前から「CEO塾」という取り組みを進めています。業界を超えた企業のトップが集まり、SAPの変革を題材にしながら、人と組織、データ、業務の本質について議論する場であり、2026年は既に満席となるなど高い評価を頂いています。

 この場では、システムの話はあえて最後にします。技術的に実現できないことがほとんどない時代において重要なのは、経営者がどのような経営を実現したいのかという本質を引き出すことです。その前提を共有できることで、変革の成功確率は大きく高まります。

 日本のお客さまは現場力や品質に対する意識の高さといった強みを持っています。その強みを生かしながら、欧米で進んでいる取り組みを最短距離で適用していく。それが「和魂洋才」の考え方です。グローバルの戦略をそのまま適用するのではなく、日本のお客さまに適した形で自律型エンタープライズを実現していくことが、SAPジャパンの使命だと考えています。その実現に向けて、今後もパートナーの皆さまとともにお客さまに伴走していきます。

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