成功者が語るIPO攻略の秘けつFrom Netinsider(30)

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» 2001年05月22日 12時00分 公開
[Vagabond,@IT]

<vol.30の内容>

株式会社まぐクリック 取締役 経営企画チーム マネージャー 島影将氏(3)

わずか32歳で2社のIPOに携わった株式会社まぐクリック取締役:島影将氏へのインタビューを3回にわたってお届けする。最終回となる今回はIPO成功の秘けつについて語る




■■ トップインタビュー ■■
株式会社まぐクリック
取締役 経営企画チーム マネージャー
島影将氏(3)




世の中には、数多くの会社がIPOを目指そうとしているが、
実現できずにあきらめてしまった会社の方が、
実際に公開している会社よりも多いともいわれている。
では、株式公開成功の秘けつは……


 短期間でブランド認知度を飛躍的に向上させ、併せて盤石な財務基盤をも確立する方法として、IPO(新規株式公開)ほど強力な選択肢は存在しないだろう。

 東証マザーズ、大証ナスダック・ジャパンの2つの新興市場が設立されたことで、従来に比べてIPOのハードルが低くなったといわれている。しかし、主幹事証券会社、ベンチャーキャピタル、監査法人、弁護士などのさまざまな職能の専門家と意思統一をはかり、社内体制を整備し、長期間にわたってねばり強く金と時間をかけて問題解決にあたらなければIPOの成功はおぼつかないことは、賢明な読者ならすでによくご存じのことだろう。現在ではネットバブルは終えんし、公開延期企業も頻出しはじめている。

 1999年8月27日、独立系ISPとしては日本で初めて店頭市場に株式公開したインターキュー株式会社(証券コード:9449 、 2001年4月1日、 商号をグローバルメディアオンライン株式会社に変更)は、公募価格4200円に対し初値が2万1000円と5倍の伸びを記録、同社は一夜にして時価総額1200億円企業に変貌した。

 そして昨年(2000年)9月5日には、ナスダック・ジャパン市場でインターキューの連結子会社である株式会社まぐクリック(証券コード:4784)が上場し、設立1年未満の企業がIPOする初めてのケースとなった。

 この歴史的ともいえる2つのネット企業の株式公開実務においてIPOプロジェクトチームの主要メンバーとして活躍し、現在はまぐクリック社の取締役を務める島影将氏が、2001年3月2日、渋谷インフォスタワー10階でネットインサイダー編集部のインタビューにこたえた。

 インターキューの店頭公開では社内公開担当者の全員が未経験者だった苦労話などをはじめとして、プロジェクトチームの人数と概要、IPO成功の最重要点、店頭とナスダック・ジャパンの市場の違いなどに関して語る。

株式会社まぐクリック
http://www.magclick.com/

株式公開の成功の秘けつは……

――公開を成功させるために、一番重要なことは何ですか?

島影:世の中には、数多くの会社がIPOを目指そうとしているが、実現できずにあきらめてしまった会社の方が、実際に公開している会社よりも多いともいわれています。公開を断念するにもいろいろな事情があると思いますし、一概にはいえませんが、インターキューとまぐクリックを通じて、私なりに最も強く感じた「株式公開の成功の秘けつ」とは、「絶対に公開するんだ」という経営トップの強い意志ではないかと思います。

 準備期間中には、事務方として作業しているわれわれとしては、作業が大変なので「もう少し延ばそうよ」と、ついつい弱音を吐いてしまいます。会社運営自体も、従来の慣習や制度を大きく変えたりしなければならない場合がありますから、公開までのプロセスではいろいろな問題が発生します。公開できる体制を構築してしまえば、ある意味それが当たり前になっていくのですが、そうなるまでの道のりは平たんではありません。ですから、トップに少しでも甘えがあると、周りからは「当社はまだ公開するような会社じゃないよ」なんていう声が上がってくるのです。

――皆さん大変でしょうが、やっぱり、実務担当者が一番大変なのでしょうか?

島影:いや、一番つらいのは社長でしょうね。いままでは好きなように会社を経営できたのが、今度は多数の投資家からお金をお預かりして会社を経営するわけですから、社会的責任の大きさが全然違います。ケタ違いのプレッシャーを受けますので、強い意志がなければ「公開するのはもう少し後にしよう」なんて思ってしまうでしょうね。

――インターキューの熊谷社長はどうでしたか?

島影:熊谷は一度たりとも弱音を吐かなかったですね。「絶対にIPOするんだ」と、いつも 全社員の前で公言していましたし、一度たりとも方針・計画がぶれることがなかったです。だから、準備作業でヘトヘトになっていたわれわれを、会社として応援してくれているという雰囲気がありましたし、全社員のベクトルがIPOに向かって1つになっていましたね。また、周りのメンバーにも大変恵まれていました。

――ほかに秘けつはありますか?

島影:そうですね。もう1ついわせていただくと、「出られるときに出る」ということじゃないでしょうか? 「いまは株価が低いから……」なんてことをいい出すといつまでたっても公開できないんじゃないかという気がしますね。IPOに向けて全社が一丸となって、社内の雰囲気がその波に乗っているときに出てしまうことが重要ではないかと思います。

 当時は米NASDAQが絶好調で、インターネット銘柄に追い風が吹き始めたということもありましたが、これは「主幹事証券会社の審査」に良い影響を与えたかもしれません。でも、それは「会社」としてIPOを実現できたという本質的な要因ではないと思います。

――インターキューの店頭公開が終わった後、まぐクリックに転籍になったのはいつですか?

島影:2000年4月です。

まぐクリックは「過去のない会社」だったことが有利だった

――まぐクリックは記録に残る短期間で上場しました。成功要因は何だったのでしょうか?

島影:テクニカルな話をしますと、まず初月からきちんと売り上げと利益を計上できたことです。これは『まぐまぐ』というすでにメガ・メディアにまで成長したサイトのおかげです。そしてもう1つ、まぐクリックにはインターキューと違って過去がなかったことです。設立したばかりですから当たり前ですけどね。

――まぐクリックのIPOプロジェクトチームの構成を教えてください。

島影:まぐクリックの上場では、公開後にインターキューに入社した公認会計士のサポートを受けつつ、経理チームのマネージャと私の3名で担当しました。

――まぐクリックの主幹事証券会社はどこでしたか?

島影:大和証券さんにお願いしました。大証への申請間近には、公開引受部の担当の方が土日も当社のオフィスに来て一緒に作業を手伝っていただき、非常に助かりました。インターキュー同様、まぐクリックのときも周囲の協力に恵まれました。監査法人はまぐクリックがインターキューの関連会社という関係もあって中央青山さんに引き続きお願いしました。また、新興市場は弁護士のデューデリジェンスが必要となりますが、これは金融関係に強い三井安田法律事務所にお願いしました。

「IIの部」という書類の有無が大きく影響

――店頭とナスダック・ジャパンの一番大きな違いはどこですか?

島影:上場基準が一番の違いなのでしょうが、公開準備作業としては申請書類が違いますね。店頭には「IIの部」というのがありますが、ナスダック・ジャパンにはありません。「IIの部」の有無で作業量が大きく違いますから。

マザーズからナスダック・ジャパンに変更した本当の理由

――東証マザーズを予定していたが、関東財務局からダメといわれたといううわさがまぐクリックの公開前に流れましたが、本当ですか?

島影:財務局の担当者は、個人でまぐまぐのメールマガジンを利用しているとのことで、大変好意的に受け止めていただいていると感じました。日程相談のときなども非常に和やかなムードでしたし、効力発生通知の受領のときには、1年以内で上場することについて「すごいことですね。がんばってください」という励ましの言葉をいただきました。それが世間では、「財務局の方が大証の審査担当者を呼びつけて『設立1年未満の会社をなんで上場させるんだ!』と一喝した」といううわさが流れていたそうですから、本当に不思議なものです。

 そもそも上場の計画を始めたころはまだナスダック・ジャパンができていなかったためマザーズで予定していました。しかし、熊谷がナスダック・ジャパンの発起人の一人でもあったことや、将来の海外展開に有利であろうこと、そして、株式市場を海外から日本に持ってくるというソフトバンクの孫正義さんの壮大な構想に社長の西山が共感したこともあって、最終的にナスダック・ジャパンを公開市場に選んだ、というのが本当の理由です。

――2社の公開を担当したわけですが、インターキュー社長の熊谷さんと、まぐクリック社長の西山さんとでは、経営者による違いなどはありましたか?

島影:それぞれスタイルは違いますが、ベーシックなところは相通じるものがありますね。

今後のM&Aについて

――まぐクリックは、2000年2月20日にティアラオンラインさんとの合併を発表しました。M&Aは、IPOとは別の方法で会社を大きくする手段ですが、今後力を入れるつもりですか?

島影:こういうお話は、まず相手の方があって成り立つものです。こっちがいくら買収したいといっても、相手にその気がないとどうにもなりません。また、何もIPOやM&Aというのは、何か特別な仕事があるというわけでもないと思います。きちんとした会社の運営ありきで、詰まるところ、IPOやM&Aはそのための一手段にしかすぎないのだと思います。

――2つの会社の公開を経験して一番面白かったのは何ですか? かなりの資産を得られたと思いますが。

島影:IPOの業務というのは、会社全体が見えるということで非常に面白いですね。1つの部署だけで仕事をしていると、会社がどうやって運営されていくのかが見えにくいですが、IPOの準備作業を通じて会社全体が非常によく見えます。そして、会社の外部の方が自社をどう見ているかということも見えてきます。

 また、IPOの業務は作業的には相当なボリュームがありますが、IPOという目標に向けて達成していくというプロセス自体が大変エキサイティングでした。確かに社内には億万長者が続出するなど、経済的な成功ということもありますが、それはあくまで結果としてついてくるものであって、それよりも、いかにエキサイティングな仕事ができ、充実したビジネスライフが送れるかということが本当の面白さだと思います。そしてこれからも、そういうエキサイティングで面白い仕事をやっていきたいと思っています。

自分で会社を動かす人材を募集中

――現在人材を募集されているというお話ですが、採用時に求める資質は何ですか?

島影:実務経験のある方は確かに即戦力として手っ取り早いのですが、私自身が実務経験なしでここまでやってきたこともありますので、やはり一番大切なことは、その人の「人となり」がどうかということなんだと思います。実務経験がいくらあっても、人の性格や行動はそう簡単には変えられるものではありませんから。

 しかし、テクニカルなことや実務的なことは勉強して実務経験を積みさえすれば身に付きますからね。どんな仕事でもやってやれない仕事なんてないと思っています。それ相当の努力は必要ですけどね。「人となり」の具体例としては、先ほども申し上げました「経営者感覚」ということになります。雇われるという気持ちで来ていただくのではなく、一緒に会社をつくるんだ、という気持ちで来ていただきたいですね。

 インターキューグループでは、きっとエキサイティングなビジネスに携わることができます。そして、とことんまでやる人には、通常では考えられないような対価が得られると思いますよ。まだまだ小さなベンチャーですから、自分で会社を動かせるチャンスがあると思います。

(おわり)


島影 将(しまかげ かつし)氏 略歴
1968年2月23日生  
1991年3月 千葉大学園芸学部卒業
1991年3月 野村證券株式会社入社 上本町支店営業課勤務
1994年10月 大宮西口支店営業課勤務を経て、野村證券を退職
1996年7月 公認会計士試験を受験するが不合格
1997年2月 アルバイト生活を経て、技術系ベンチャー企業「センサーテクノス株式会社」入社
1997年8月 「インターキュー株式会社」入社、社長室勤務
2000年4月 「株式会社まぐクリック」入社、取締役就任(現在に至る)

(取材:Netinsider編集部)


<本記事は、2001年4月5日の【NETINSIDER】(No.100)に掲載されたものです>

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