孫正義のプレゼンを作った男――サイバー大学・岩永公就さん達人の仕事術(3/5 ページ)

» 2007年11月19日 20時42分 公開
[鷹木創,ITmedia]

「研修中の失敗は許される」の思いきりから生まれた“特ダネ”

 球団買収後、福岡に出張することも多くなった岩永さん。思わぬ話が飛び込んできたのは2005年4月、その福岡でのことだった。元新聞記者の上司が西日本新聞社と人事交流の約束を取り付けた。西日本新聞社との飲み会で、上司から「岩永、行くか?」と聞かれ、「はい」と答えた。どうせ飲みの席だからと軽く返事したつもりだったのだ。

 人事は、夜決まる――。岩永さんの思いとは裏腹に上司は本気だった。2005年8月、彼は新聞記者になっていた。研修扱いだったが、西日本新聞社では地域報道センター、経済部、社会部で記者を務めた。ここでも「鍛えられた」。「最初のひと月半は怒られっぱなし。『もうすぐ30歳になるのにこんなに怒鳴られて……』と、がっくりした記憶があります」

 プレスリリースで原稿を書くのは慣れていた……はずだったが、新聞は勝手が違った。「まず、カタカナが使えませんでした」。たとえば「ブロードバンド」は、「ブロードバンド(大容量高速通信)」。さらに、淡々と書けばいいプレスリリースと違って、「記事は情景が思い浮かぶように書かなければならない」とも指導を受けた。インタビュー記事では「誰それが『話した』」だけではなく「熱く語った」などと、形容する語句にもこだわるようになった。

 最初に配属された地域報道センター、続いての研修先になった経済部で、記者としての喜びを知った。「記事にすると取材先から感謝されるんです」。感謝されるのがうれしくて、1年の予定だった人事交流は、さらにもう1年延ばしてもらった。その一方、“恐れていた”事態に――。社会部での研修の時期が来たのだ。

 「社会部は公式発表だけでなく、アポイントなしの取材も必要でしたので、西日本新聞社のエース記者がそろっていました。ここに居ていいのだろうかと思ったものです」。ソフトバンクから研修で来た岩永さんは場違いな雰囲気を感じたという。それに取材を受ける立場だった広報時代の経験から、アポなし取材も嫌だった。

 その一方、研修であることを最大限に生かそうとも考えた。「取材で失敗しても怒られないし、怒られないのだったら、何か特ダネを抜いてやろうと思いました」。2006年末、そんな岩永さんに、とあるタレこみがあった。「福岡市の教員採用試験の問題が漏えいしている」というネタだ。編集部内に相談を持ちかけたが、「そういうネタは毎年出るけど、現物が出てきた試しがない。都市伝説だな」と雑談に終わった。だが、漏えいした試験問題の現物が出てきたのだ。2007年1月5日、朝刊1面を飾った岩永さんの記事は、他紙が報道していなかった――つまり、完全な特ダネだった。

 この特ダネで、局長賞をもらったという岩永さん。「裏取りは社会部全員でやってもらった。特ダネもみんなの力で取れることを知りました」と社会部のスタッフに感謝している。

新聞記者時代の岩永さん。試験問題漏えいの記者会見で

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