右脳型銀行マンが左脳を使って物流を変えた――プラス ジョインテックスカンパニー 伊藤羊一さん(2/4 ページ)

» 2009年05月13日 07時00分 公開
[GLOBIS.JP]

逃げない姿勢が呼び込んだ逆転劇

 銀行から来た素人に何が分かる……。毎週のようにシステムの試運転に来てはエラーを出し、現場をリカバリー作業に奔走させる2人に対し、センター側の反応は冷ややかだった。

 せっかくの週末にリカバリー作業が発生する繰り返しに、「伊藤さん、あんた何を考えているんだ。もう来ないでくれ」と、ついにセンター長が罵声を上げた。しかし、伊藤さんは食い下がった。「もう一度だけチャンスをくれ」。そのとき偶然に、商品の名寄せがうまくいった。

 2005年11月。計画から遅れに遅れてのシステム本稼働。ところが、「そこからがまた地獄だった」。

 実際のビジネスは試運転とは異なり、どれほど時間を経過してもダンボールの大半が満杯にならず、いつまで経っても配送可能なダンボールが出てこない。配送トラックを待たせ通しにはできないので、見切り発車で“ダム”を開ければ、今度はものすごい数のダンボールが配送口に積み上がる。「箱の中身はグチャグチャ、名寄せも終わっていないから、配送コストは少しも減らない」。ついには「会社としてこれ以上の投資はできない。元に戻したらどうだ」と、上層部もさじを投げた。

 「ヒントのようなものがある」。声をかけてきてくれたのは、物流子会社プラスロジスティクスのシステム企画部長、勝田芳之さん(45)だった。「現場の意見を聞かずに勝手に役に立たないシステムを創ったあいつらに協力できるか」という空気の中、勝田さんにとって伊藤さんに協力することは同僚を裏切るような気持ち悪さがある。しかし、こめつきバッタのように謝り倒し、説明に回る懸命な姿に思わず、「一緒にやりませんか」と手を差し伸べた。

 成功のカギは、ダムを開けるタイミングの設定にあった。ダンボールが満杯になるのを待っていては、いつまで経ってもこん包のラインが流れない。かといって、すぐにこん包してしまっては配送コストの削減は実現できない。藤田さんは早朝にこっそり出社しては、時間と容積の兼ね合いを取る最適なパラメータを推し量っていった。毎日、設定を少しずつ変えながら効果を検証し、パラメータの数値と結果のレビューをもとに、伊藤さんとともに議論を重ねた。

 3週間後。数字がついに割り出された。積載効率が確実に上がり、しかし、ラインはスムーズに流れていく――。魔法の数字は「0.8」だった。

 ふたを開けてみれば、新システムは、年間1億円にも達するコスト削減効果を実現していた。「よく、あの状態からリカバリーしたな」。そんな評判が社内を巡り、ビジネスモデルの先進性で戦ってきた社内に、コスト構造改革の新風を吹き込んだ。

 「諦めないでよかった。皆の協力がなかったら、どうしようもなかった」と伊藤さんが言えば、勝田さんは「伊藤さんが上からの反対をはねのけてくれたおかげだよ」と返す。3人の戦友は飽くことなく互いの武勇を称え、飲み明かした。

 快進撃は続いた。

 2006年4月に着手した物流センターのライン改装では、センターを稼働させながらの工事を実現させた。通常、物流ラインを一新する場合には、一旦、古いラインを別の建物に移し、そちらを稼働させながら、旧来の建物に新しい什器を搬入、つなぎ合わせていく。ところが、伊藤さんらは、まるでパズルでもするように古いラインに新しい什器を1つずつつないでは動かし、徐々に全体を刷新していった。

 ところてん方式で、毎週オペレーションが変わる。全30回の工程。現場の負荷はただ事ではない。しかし、「あの伊藤が言うなら」と皆、全面的に信じて協力してくれた。一般的な改装工事と比べ、3億円のコスト削減。見学に来た物流機器メーカーの担当者が、「この規模のセンターで、稼働させながら改装するなど聞いたことがない」と、目を丸くした。

右脳と左脳のシナジー 心と頭がフル回転

 伊藤さんと仕事をともにした人が判で押したように口にすることがある。それは、「彼は、やると言ったことは絶対にやる」ということ。そして、「どんなことがあってもチームや部下を守ってくれる。絶対に最後まで逃げないし、諦めない」ということだ。「だから、協力する人が現れる。私自身も、伊藤さんだから最後まで付いていこうと思えたのです」。システム開発で戦友となった長谷川さんも言う。

 一旦やると決めた以上、やり抜くのは、銀行マン時代から変わらぬ信条だ。古くさいかもしれないが、「仕事は結局、気合いと根性の部分が大きい」と思っている。土壇場で尻に帆を掛け逃げる男にだけは、絶対になりたくないと思う。

 「挑戦したい仕事があるなら、やってみろ。失敗しても俺が責任とるから。守ってやるから」。そんな言葉が口先だけに終わらないから、自然と人が付く。興銀の同僚だった真由美さんに結婚を申し込んだ夜。帝国ホテルのレストランで想いを告げ、外に出てみると、部下たち10人が上気した笑顔で待っていた。「やったぞ」とガッツポーズをすると、その場で胴上げされた。

 「あんたじゃなきゃ、ダメなんだ」。会社の命運をかけたマンション開発に際し、名指しで伊藤さんに融資を求めてきたデベロッパーもいた。「分かりました、やらせてください」。綱渡りの勝負に勝ったときには、その会社の社長と手に手を取り合って男泣きした。

 「やってみたい企画があるんです」。真剣な目つきの部下には、「よし、分かった。明日の経営会議で通して来てやる。資料を作る時間はないから、今夜、寝ずにプレゼン考えて、後はぶっつけだな。大体9勝1敗で来てるけど、もし明日がその1敗だったらごめんな」。

 そんなスタイルでやってきたから、以前は、「伊藤さんには左脳ってものはあるんですか?」などと冷やかされることもあった。ところが最近は、右脳と左脳のバランスが絶妙と評判だ。

 「ヨイショするわけじゃないですが、これは、グロービスのおかげです」。

 ジョインテックスで物流企画部長になりたての頃。自信を持って意思決定ができないことに、密かに悩んだ。銀行では「決まったパターンをものにしさえすれば、後は同じことの繰り返し」だったから、枠組みを払い、ゼロから物事を整理し、結論を導き出した経験が実は少なかった。

 「ダンボールを止めて、オリコン(折りたたみコンテナ)に切り替えたい。でも、コストが1個あたり20円かかるんです。部長、どうしましょう」。「どうしましょうって言われても、お前……」。

 部下から上がってくるアイデアを測る物差しを持たない自分が不安だった。業界に特有の知識がないのは仕方がないとしても、ものの考え方次第で結論を導き出す方法論はあるはずだ。

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