インタビュー
» 2009年08月28日 08時00分 公開

変わらないためには、何を変え、何を守ってきたのか? 「博多 一風堂」河原成美物語(中編)あなたの隣のプロフェッショナル(3/5 ページ)

[嶋田淑之,Business Media 誠]

 新店舗のコンセプトメイキングなどは、最終的に、経営トップの河原さんの判断に委ねられているようであり、そういう意味で、河原さんの頭の中には、必ずしも言語化されてはいない識別基準が存在するのかもしれない、と筆者は感じた。ただ、いずれにしても、一風堂がオープンしてから現在に至るまでの河原さんと力の源カンパニーの歩みは、そうした不変の貫徹と、環境変化に即応した絶えざる革新の断行の歴史だったことは確かだ。

河原さんの革新その1:「業界革新」

 河原さんの革新は、2つの側面からとらえられる。1つは日本のラーメン業界に起こしたイノベーションであり、もう1つは、力の源カンパニー自身の自社革新としてのイノベーションである。

 まずは前者。1985年の一風堂立ち上げは、停滞していた博多ラーメン、そして九州ラーメンの世界に、一陣の変革の風を吹かそうとする試みであり、それゆえ一風堂と命名したことは前回ご紹介した。

 そして実際、一風堂の登場によって、博多、そして九州のラーメン界は活性化し、次々に若く新しい才能を輩出するようになっていったのである。それに続いて、1994年の新横浜ラーメン博物館、1995年の東京のラーメン激戦区・恵比寿への出店は、日本のラーメン業界そのものを変革していこうとする河原さんの強烈な使命感の現れと言えた。

 そして、1997年以降の「全国ラーメン職人選手権」3連覇をはじめとする業界内部での確固たる地位の構築と、それに基づく河原さんの活動の数々は、日本のラーメンのあり方を変容させた。それまでの「町のラーメン屋さん」とは異なる、ややハイエンドな顧客層をターゲットにした高付加価値ラーメンとも言うべきジャンルを生み出した点にもそれは明らかだろう。

 

 今、河原さんはグローバル展開を進めつつある。ニューヨーク進出を成功させ、年内にはシンガポール、2010年にはロンドンに出店する。今後はフランス、中国、タイ、オーストラリア、ロシアにも出店を計画しているという。

たくさんのラーメン店主から贈られた丼ディスプレイ(ニューヨーク店)

 「日本の“食”は世界の中で、2000年に及ぶ伝統を持っています。しかも、四季を感じさせるという特徴もある。そうした日本独自の文化を世界に広めていきたいと思います」

 ラーメンを通じて日本の食文化の特にどういう面を広めたいのだろうか?

 「欧米など諸外国にはない“唇ですする”“喉ごし”を提案していきたいと思っているんです」と熱く語る河原さん。

 夢はさらに広がる。「世界に通用するラーメンを出して、“世界標準”を作りたいです。スターバックスのラーメン版みたいなグローバル展開をイメージしているんですよ」

 ドメスティックに業界の変革を図る段階を脱して、今や、日本文化という視点から日本のラーメンを世界に普及しようとしているのである。

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