“休ませてください”が言えない……こんな雰囲気が漂う職場の問題点吉田典史の時事日想(2/3 ページ)

» 2010年03月12日 08時00分 公開
[吉田典史,Business Media 誠]

 上司がそれらを拡大解釈することがありうる。例えば、部下が上司に「そのお考えは誤りです」と述べたとする。このとき、心の狭い人は「あいつは協調性がない」と残念ながら評価しかねない。評価をあいまいにすると、経営側は社員をコントロールしやすくなる。社員からすると「こういう行動をとると、まずいな。だから、黙ろう」などと思うもの。それが行き過ぎると、職場で正論が言えなくなる。少なくとも、そうしたムードが漂い始める。

 こうした言いたいことが言えない職場を破壊してくれるかもしれない――。このように期待したのが、成果主義である。1990年代後半にこの制度が多くの企業で導入されたが、経営側は依然として行動評価をなくそうとはしない。私としては残念だが、これは事実である。

 依然として物申すことができないムードが漂う職場のままであり、その中での成果主義でしかなかったのだ。「有給の消化」などが言いにくいことも、こういった背景があるのではないだろうか。中には、堂々とそれが言える職場もあるだろう。それこそ「言論がある程度、自由な職場」であり、私は素直にいい会社だなと思う。

職務やその責任範囲があいまいでは?

 さらに、もう1つ考えてみたいことがある。多くの会社員は、職務やその責任範囲があいまいな環境で働いている。一部の労働学者風にいえば、これは「フレキシビリティー(柔軟性)」と言える。これもよく考えると、「有給の消化」が言いにくい職場をつくっている1つの要因である。

 日本企業の職場は、実に柔軟である。例えば、上司が自らの判断ミスで仕事が後手後手になったとき、部下は必ずしもそれを支える必要がない。ところが、それぞれの職務や責任範囲もあいまいであるがゆえに、そのようなときは「私がお手伝いします!」と言える人が「優秀」となりがちである。ややオーバーな捉え方かもしれないが、これに近いムードを漂わせているのが多くの職場ではないだろうか。

 上司の判断ミスにより残業をするようになったときも、不思議と部下はそれにつきあわざるを得なくなる。そこで「私は自分の仕事を終えた」とさっさと帰ると、ひんしゅくを買いがちである。ましてや、「明日は有給を取らせてもらいます」とはどうにも言いにくい。

 こういうことが積み重なり、言論の不自由な職場になる。かつての私のように、「親戚で不幸が……」といった切り口で申請することになるのである。

 多くの企業は職務があいまいな職場に、成果主義を導入し、目標管理を行っている(目標管理は成果主義以前から行われていた)。そして、目標管理の結果とボーナスなどを連動させようとする。例えば、今年度の上期で5000万円稼ぐことを目標として、それが達成できたら、ボーナスが〇万円上がるという具合にである。

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