キヤノンから中小企業まで……“仕事”基準で会社はこう変わった――人事コンサルタント、前田卓三さん(後編)嶋田淑之の「この人に逢いたい!」(2/5 ページ)

» 2010年06月19日 00時00分 公開
[嶋田淑之,Business Media 誠]

大企業の改革に挑む

 その論文に対する社会的反響はどのようなものだったのだろうか?

 「最初に声をかけてくださったのが、東洋水産の森和夫社長でした(1995年会長、1999年相談役)。森さんはノモンハン事件※の数少ない生き残りの1人で、まさに筋金入りの経営者でしたね。

※ノモンハン事件……1939年、ソ連と満州国の国境付近で生じた関東軍とソ連軍の武力衝突。日本は小松原道太郎中将率いる第23師団が全滅するなど大打撃を受けた。

 同社に招かれて、森社長以下役員一同が居並ぶ中に私が入った時に、まず目に飛び込んできたのが、『和』と書かれた掛け軸でした。それはまさに、人基準の象徴みたいなものですから、すかさず私は言ったんです。『いや〜、これがいけませんなあ!』と。

 誰もがぎょっとしたような表情で私を凝視しましたが、1人、森社長だけは『その通り! だから、あなたをお呼びしたんですよ』とおっしゃってくださったんですよ」と前田さんは振り返る。

東洋水産公式Webサイト

 その後、前田さんは花王やキヤノンから招聘され、仕事基準を軸にした両社の人事制度改革に大きく貢献した。

 「キヤノンは、ちょうど御手洗冨士夫さんと山下征雄さんが欧米での海外勤務を終えて、そろって日本に戻られた時期でした。同社の場合、まず日本のヘッドクォーターを仕事基準にした上で、しかる後にグローバル戦略を展開していったために成功したのだと思います。

 両社とも100%仕事基準になっているかと問われれば、まだそこまでは行っていないかもしれませんが、少なくとも、若い世代に関しては実現していると思いますよ。

 それに対して、ソニーなどは『日本のヘッドクォーターを仕事基準に変えることなく、グローバル戦略を遂行したために、うまく行かなかったのではないか』というのが私の意見です」

 グローバル企業だけではない。前田さんは、日本各地の中小企業を仕事基準へとシフトさせることにも尽力した。

地方の中小企業も仕事基準導入で倒産の危機を回避

 「東北地方のある電気工事会社でのことです。ここは同族企業で、典型的な人基準の会社でした。役員たちは大した仕事もしないのに威張っていて、感覚が時代遅れで、しかも高給取り。社内は沈滞し、優秀な若い人材を入れたくても、夢を持った若い人が入りたいと思える状況ではありませんでした。当然、業績は悪化の一途で、このままではつぶれるという中で、私がお手伝いしました。

 しかし、仕事基準を導入したことで、過去最高益を超えるまでに業績は回復し、評判が各方面に伝わって、優秀な人材が入社を希望するまでになったんですよ」

 仕事をしないで威張っている高給取りの役員たちからすると、一挙に給料を下げられることに反発するなど、既得権を守るための「組織抵抗」が大きかったのではないだろうか? 特に大幅なダウンによって、生活できなくなることへの恐怖は大きかったと想像するのだが。

 「ですから、(給与ダウンについては)5年間の猶予期間を設けたのです。そして、その間に、それぞれが自分のポジションに見合った仕事をするように仕向けたのです。何だかんだと文句を言ったところで、このままでは会社がつぶれるのは誰の目にも明らかだったので、その危機感が共有されたこともあって、みんなよく頑張りましたね。

 それによって、5年の間に仕事基準の組織へと再生できましたし、そのお陰で給与をダウンさせられた人はわずかで済んだのですよ」

 こうした企業において、ポストの概念しか持たない人に、ポジションについて理解させるのは容易でないと想像されるが、前田さんはどのように導入していったのだろうか?

 「ケースバイケースでいろいろなやり方がありますが、例えば課長の年収が800万円で主任の年収が600万円だったとして、『その200万円の差って何?』と問いかけ、自分の頭で考えさせるのです。そういうことを繰り返す中で、徐々に理解が深まってゆきます」

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