テレビや新聞の大震災報道で何度も目にした津波に流された車両の姿だった。いざ眼前に実物があると、ステアリングを握る手に力がこもり、肩が強張っていくのを感じた。同時に、息をのんだ。
現地入りする前の段階で、石巻の友人たちからはこう聞かされていた。
「市内の至る所に津波で流された車両が放置されている。震災後4〜5日はクルマの中に収容待ちの遺体が放置されていた」
また、彼らからはきつく言い渡されていた。
「こっちは地獄だ。覚悟して来い」
筆者が初めて目にした車両の持ち主の安否は知る由もなかった。だが、この放置車両を見た瞬間、街の人々が震災で過酷な体験をしていたことを皮膚感覚で知ることになった。
先に当欄で触れた通り、筆者は地元紙・石巻日日新聞を訪れた(関連記事)。その後、小説の取材のために歩き回った中心部に向かった。
立町という中心街で銀行の駐車場に車を放り込み、筆者は街に歩き出した。赴きのある古い商店街、あるいは漁業関係者や街の企業の従業員たちが足繁く通った飲食店街は、ほぼ全てが津波に飲み込まれた。ヘドロと重油、潮の混じった刺激臭が周囲を覆う。地元民によれば、晴天の日はこれが埃に変わり、街中に流れる。被災者が一様にマスクを付けているのはこのためだ。
筆者が取材やプロモーションで街を訪れると必ず足を運んだ鮮魚店は、店舗の1階部分に固定した業務用大型冷蔵庫が津波によって浮き上がり、屋根を破ったと聞かされた。中心街の店舗は文字通りの壊滅状態だった。
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