誰のための取材なのか 大手メディアと石巻日日新聞の違い相場英雄の時事日想(1/2 ページ)

» 2011年04月21日 08時00分 公開
[相場英雄,Business Media 誠]

 東日本大震災発生後、三陸の小さな新聞社に関する記事を目にした読者もいるだろう。大津波により、新聞社の生命線ともいえる輪転機が破損した石巻日日新聞社だ。同紙は一時、新聞の印刷ができない状態に追い込まれたが、手書きの壁新聞を発行、被災者に情報を提供し続けた。一連の震災報道の過程で同紙の行動は多くのメディアに“美談”として取り上げられたが、その実態はどうだったのか。 

自らも被災者

震災後、壁新聞の発行を続けた石巻日日新聞

 4月9日、自家用車を駆った筆者は宮城県東部に位置する石巻市に向かった。被災地取材に加え、わずかながらの支援物資を被災者に届けるためだ。そして、地元夕刊紙・石巻日日新聞社を訪ねた。

 本社の周囲こそようやくがれきの撤去が済んだものの、記者が執務する2階報道部の窓からは津波によって運ばれた多種多様なモノが散乱する様子がみてとれた。余震の連続で報道部の蛍光灯が天井からはがれ落ちたばかりだというタイミングで、筆者は報道部課長の平井美智子記者と話す機会を得た。

 同記者は昨年、拙著と筆者を同紙に取り上げてくれた人物であり、報道部の若手を取りまとめるベテランでもある。再会を喜んだあと、筆者は早速手書きの壁新聞に触れた。すると平井記者は戸惑いの表情を見せ、こう言った。

 「当たり前のことをやっただけ」――。

 先の本コラム記事『その報道は誰のため? 被災した子どもにマイクを向けるな』でも触れたが、平井記者をはじめ、同紙の記者全員が石巻や周辺町村に暮らす読者向けに取材を続け、手書きの壁新聞を作って避難所に張り出した。「誰のため」と尋ねられれば、全員が地元民のためと即答する。それが同紙のポリシーであり、役割だと信じている。だからこそ、印刷が困難になった際も、即座に手書きという情報伝達手段にたどり着いたのだろう。

 ちなみに、平井記者はご両親が避難所に退避していた間も現場を往復し、記事を書き続けた。クルマごと津波に流されながらも危機から脱し、職務に復帰した若手記者も在籍する。記者本人が被災者であるため、石巻や周辺地域の被災者がどのような情報を欲しがっているのかがよく分かるのだろう。

 同社は現在、広告なしでの新聞発行を続けている。地元の大企業、日本製紙が甚大な被害を被ったため、紙不足にも直面している。さまざまな困難に直面しているが、「地元民を勇気づける紙面作り」(平井氏)を念頭に、記者は飛び回っている。

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