手書き壁新聞の発行以降、同社は多数の大手メディアによる取材を受けた。また米国のマスメディア関係の博物館が「壁新聞」を収蔵することを決めた。しかしスタッフは戸惑いを覚えたという。彼らは当たり前のことをやっただけという意識なのに、中央の大手メディアはこれを格好の“美談”として取り上げているからだ。
同じメディアの人間ではあるが、「地元のため」という使命感を持った石巻日日スタッフと、「悲惨な情報の中でホッと一息の素材」を求めていた大手メディアの間には、大きなギャップがあった。筆者が最初に壁新聞に触れた際、平井記者がとまどったのは、このギャップの大きさが主因だとみている。
“美談”の主役となった壁新聞のバックナンバーは、報道室の片隅に丸められ、無造作に放置してあった。同社にとっては、壁新聞は非常時の情報伝達ツールの1つであり、主要メディアがあがめまつったような存在ではなかったようだ。
筆者が同地を訪れた9、10日の両日は、震災発生から1カ月という節目を控えていたうえ、菅首相の訪問を間近に控え、大手メディアのスタッフが多数現地入りしていた。市内のあちこちで東京ナンバーのハイヤーとすれ違い、多くの中継車も目にした。
かつて大手メディアに所属していたので皮膚感覚で分かるのだが、こうした節目は紙面やニュース番組で大きく取り上げられる。筆者が現地入りしたときは、まさしくこういうタイミングだったのだ。
片や、石巻日日新聞は多数の市民と同様、ガソリン不足に直面し、広域の取材エリアをすべてカバーできない状態にあった。震災発生直後はもっと深刻な状況だったという。一方の大手メディアは物量作戦で多数の記者やスタッフを投入した。仙台市や同市周辺の温泉宿を拠点に全国から集まった応援部隊が集結。「メイクばっちり、香水プンプンの女性リポーターが被災者にマイクを向けていた」(石巻市関係者)という光景が被災地のあちこちで見られたという。
在京キー局、大手紙の応援組は誰のために取材をしたのか。同業者に負けるわけにはいかないという“メディア村”の論理が最優先されたと筆者は推察する。同業者同士の競争原理が先行し、被災者のため、視聴者・読者のためという使命感がすっぽりと抜け落ちていたのではないだろうか。そして「被災者に対する無神経な取材」は、今もどこかの被災地で行われているのだ。
誰のための報道か。大手メディアは、真摯(しんし)にその取材姿勢を見つめ直す時期にきている。
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