さて、2つ目の言葉──。
目を星に向けながら、大地をたくましく走る。残念ながら、そうした健やかな姿で日々の仕事に向かっている人は、昨今ではむしろ少数派になってしまったのかもしれない。私が平成ニッポンのホワイトカラーでイメージするのは、みんなが横並びでエアロバイク(フィットネスクラブに置いてある自転車漕ぎマシン)に乗り、正面のメーターに目を固定させ、組織から与えられた目標回転数を維持するためにせっせと漕ぐ姿とか、「何かいいもの落ちていないかなー」などと猫背で地面を見ながら歩いている姿である。
私が企業の研修現場でよく耳にするのは、「社内にあんな風になりたいという魅力的な上司・経営者が見当たらない」という声だ。恐らく、星を見て大地をたくましく駆けている大人の姿、つまりロールモデルが多くの組織で不足しているのだろう。しかし、若い人たちも、そうそう年上世代のせいにもしてはいられない。その下から育ってくる子ども世代もまた年上世代を観察しているのだ。
日本が、世代ごとに「安定志向」という名の精神的縮小回路に入り込まないために何ができるか、何が必要か―――それは世代に関わらず、1人1人の人間が空を見上げ、雄大な空間に自分の星を見つけようとすることだ。そしてリスクを恐れず、保身の枠から一歩足を外へ出していくことだ。そしてそれが世の中的に「カッコイイ生き方」のイメージになっていくことだ。
上のルーズベルト大統領の言葉の類似形で「しばしばつまずいたり転んだりするのは、星を追いながら走っているから」というのもある。つまずいたり、転んだりするのは決してカッコ悪い姿ではない。カッコ悪いのは、星を追わず転ぶことも怖がっている姿だ。かのピーター・ドラッカーも『現代の経営〈上〉』で「間違いをしたことのない者は凡庸である」と言う。凡庸と言われようが、カッコ悪いと思われようが、「小ぢんまりと安定していたほうが人生得だ」という利己・功利主義が大多数になったとき、この国の趨勢は決定的になる。
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