日本のメディアも他人事ではない。廃刊に追い込まれた盗聴問題相場英雄の時事日想(2/3 ページ)

» 2011年08月11日 08時00分 公開
[相場英雄,Business Media 誠]

狙われた局長室

 英ニューズ紙のケースは、まれなのか。残念ながら、否と言わざるを得ない。筆者が通信社の記者だったころ、こんなケースに遭遇したのだ。

 金融恐慌が深刻化した1990年代後半のこと。大蔵省(現・財務省)の金融担当の局長室ドアに、小型テープレコーダーが秘かに設置され、これが発覚して騒動に発展したことがあった。当時、金融機関を破たんさせる法律が未整備だったため、大蔵省や日銀の担当部局は多忙を極めていた。手探りで大手金融機関の処理スキームを策定中だったため、筆者を含めた記者は連日連夜、詳細なデータを求めて取材を続けていた。

大蔵省(現・財務省)の外観(出典:財務省)

 こうした中で、先に触れたような事件が起こったのだ。

 テープレコーダーを設置したのは、大蔵省の記者クラブである財政研究会に詰めていた某在京紙の中堅記者だった。特ダネを狙うという記者根性が、歪にネジ曲がった結果が“盗聴”という一線を越えた行為に走らせたのだ。

 幸い、同省局長室のスタッフがテープレコーダーの存在に気付き、重大な情報が当該記者に漏れることはなかった。同省は同在京紙を直ちに出入り禁止処分とし、同記者は配置替えとなった。当然、この話はたちまち同業他社の知る所となり、記者と在京紙は厳しい批判にさらされた。

 筆者は、ロングインタビューや記者会見などの場合を除き、原則としてテープレコーダーやICレコーダーを取材に使用しない。相手の目や表情を凝視しつつ、ナマの言葉をメモ帳に刻み付けることを信条にしているからだ。よって、現役の記者時代から録音機器の使用頻度は極端に少なかった。

 ただ当時から、こうした機器を積極利用する記者は、同じ会社や他社でも多数存在した。そうした環境下、かつて、若い同僚記者と要人の懇談に出席した際、驚嘆する場面があった。

 懇談はオフレコが条件で、記事化も◯△筋として引用することも無理。どうしても取材テーマの深部に迫りたいと考えていた筆者は、オフレコ条件をのみ、懇談に出た。懇談から戻った際、同行していた若手記者が得意気に筆者に分厚い手帳を提示した。事の真意が分からず首を傾げていると、この若手は手帳を開き、底の部分に仕込んだマイクを取り出した。

 要するに、オフレコの信義を破り、要人発言の一字一句を盗聴していたのだ。もちろん、後輩を厳しく叱責したのち、データを消去させたのは言うまでもない。

Copyright © ITmedia, Inc. All Rights Reserved.